「店長」
「おはよう、レイ。なあに?」

 翌日、レイは店長が店に来るなり、声をかけた。

「これ、売れませんかね」
「何々?」

 昨日入手した魔術書を、カウンターに力いっぱい叩きつけた。

『無駄なのに』

 店内を見回るリシェナルに、レイは怒鳴った。

「うっさい」
「煩い!? ひどいわレイ!」
「え? ち、違いますよ、店長じゃありません」

 リシェナルの見えない店長は、自分が言われたものと思い込んで、額に手を
当ててよろめいた。

「ちょっと、ええ、ハエが見えたもので」
『僕のこと? 酷いなあ、レイは』

 全く堪えていない様子で、リシェナルは微笑んだ。
 短距離なら、レイや書から離れても大丈夫なようだ。

「ふーん……まあ、いいわ。見せてもらうわよ」
「よろしくお願いします」

 店長は、カウンターの引き出しから白い手袋を取り出すと、手にはめて黒白
の書を手に取った。

 その様子を、壁に寄りかかるようにしてリシェナルが眺めている。

(口を開かなきゃ綺麗なんだけどねえ)

 リシェナルを見て、レイはそう思う。
 全体が白っぽい為、彼の色彩は一切分からないが、陰影だけで十分顔立ちの
整い具合が伝わってくる。
 一部のみに受け入れられる濃い美形顔ではなく、万人が受け入れそうな綺麗
さ。
 昨日一日話していて、性格が大変よろしいのは分かったが、それでも心の底
から腹が立たないのは顔のせいだろうか。

「だとしたら、美人って得」

 半分腹立ちでリシェナルを見ると、彼は真剣な表情で店長の動きを見ていた。










              ○ 理屈屋の魔術書 ○

03-01









「レイ」
「はい?」

 不意に、店長が名前を呼ぶ。

「あんた、これ…………何処で手に入れた?」
「え?」

 いつになく真剣な声で、店長がレイに詰め寄る。

「これ、魔術書じゃない」

 顔を顰めて、店長が息をついた。
 ここまで真剣な姿は、レイは初めて見る。

「古遺跡で見つけましたけど……魔術書って、何なんですか?」

 昨日、リシェナルは答えてくれなかったため、レイは魔術書に関する知識が
ない。
 店長は、手袋を外してレイを見た。

「魔法と魔道具は分かってるわよね」
「おおまかに、ですけど」

 いつもと違う店長の様子に緊張しつつ、レイは答えた。

「魔法は、基本的には方法さえ知っていれば誰でも使えるのよ。でも明確な
イメージが必要だし、気力も大量に使う。雨を降らせたりとか大技を使う場合
は、よりくそ長い呪文を唱える必要が有るし、一回で死ぬほど疲れるわ。場合
によってはホントに死ぬ事もある」

 店長から、魔法の話を聞くのは初めてで、レイは驚きながら耳を傾けていた。
 魔法や魔道具は、使える人が僅かなように、その知識さえも一般には広がっ
ていない。
 店長は、商売柄関わった事があるのかもしれないと、レイは自己完結した。

「一方魔道具は、そんな魔法を誰にでも使えるようにしたものだけど、要とな
る石の純度によって、留められる魔法が限られるし、どんなものでも記憶でき
るわけじゃない。難しい魔法は大体無理よ」

 視界の端で、リシェナルが目を細めているのが見えたが、レイは気にしてい
なかった。

「そこで、魔術書が登場するの」
「魔術書……」

 トントンと、黒白の書を指で叩きながら、店長は続ける。

「魔道具と一緒だけど、どんな魔法でも記憶させる事ができるし、難しい魔法
でも、鍵となる言葉を言うだけで使う事ができる上に、疲労も少ない。高度な
魔法には、大体魔方陣や魔道具とかの準備が必要だけど、それもない」
「へー……随分便利なんですね。魔法よりよっぽどいいじゃないですか」

 なぜかため息をついて、店長は言葉を続けた。

「魔術書を作る材料は稀少で、製造方法も現代には伝わってないの。造るのは
無理よ」
「なるほど……」
「封じられてる魔法にもよるけど、一冊で一生屋敷暮らしができるわよ」
「ホントですか!!」

 レイは、一生屋敷暮らしに食いついた。

「でも、この魔術書、中身が読めないわ。何語よこれ」

 睨み付けるように、店長が書を見た。

「あ、それ、私の故郷の文字です」
「何で、レイの?」
「さあ……」

 それは、レイにも理解できなかった。助けを求めるようにリシェナルを見た
が、肩をすくめるだけで、助けてはくれなかった。

「でも、中身はただの物語でしたよ。何か、御伽噺みたいな」
「大体、魔術書は暗号になってるの。その暗号を解いて、鍵となる言葉を見つ
けるのよ」
「げ」

 暗号と聞いて、レイはうんざりした。流し読み程度だが、黒白の書の中身は
細かい上にページ数も多い。それを解読するなんて、考えるだけで憂鬱だ。

「とりあえず、題名だけ教えて貰っていい?」
「黒白の書です」

 レイが本のタイトルを言うと、手近なところにあったメモに書き記す。

「こく、びゃく……っと。早速調べてくるわ」
「て、店長?」

 呼び止めるレイの言葉も尻切れに、店長は怒涛の勢いで店から姿を消した。

「早い……」

 残されたレイは、唖然と後姿を見送った。

『彼、何者?』

 そこで、急にリシェナルが肩の横からレイを覗き込んだ。

「な、何突然」
『誰?』

 レイの質問をよそに、リシェナルは尋ねる。

「店長だけど、何で?」

 それ以外答えようも無く、レイは首をかしげた。

『――随分、魔法に詳しい。あそこまで詳しい人間は、珍しいよ』

 店長の消えた扉を見つめながら、リシェナルは呟いた。

「まあ、こんな店の店長だからねえ。謎な人だし」

 リシェナルはそれでも気になるのか、しばらく扉を見つめていた。

「ねえ、リシェナル」
『……』

 リシェナルは、レイの呼びかけに気づかない。

「リシェナル」
『……』
「リシェナルリシェナルリシェナルリシェにっ!」

 レイは口を押えて悶絶した。

(し、舌噛んだ……っ!)


 しばらく後で。


「ねえ、リシェ」
『――それ、僕?』
「そりゃそうでしょ。一つ聞きたいんだけど」

(二度も舌噛んで堪るもんですか)

 リシェナルことリシェは、突然の略称に、驚いたように目を丸くしている。
 レイはそんなこと気にせずに、続けた。

「何でこれ、私の国の言葉で書かれてるの?」
『黒白の書は、所有者の最も身近な文字で固定されるからね。……でもそれ、
レイの国の言葉なんだ。僕もはじめて見た』

 日本語を見つけて喜んだレイだったが、種明かしは簡単だった。
 元の世界に帰る手がかりかと思ったが、そうではないらしい。
 一瞬落ち込んだが、頭を振って、気を取り直した。

「私も、魔法使いになれるの?」

 実はさっきから、それも気になっていたのだ。早速、魔術書の案内人リシェ
に尋ねる。
 子供のような質問を聞いて、リシェも力が抜けたように相好を崩す。

『一応ね』
「でも、暗号解読しなきゃいけないんでしょ?」

 不安そうに畳み掛けるレイに、リシェは苦笑して答えた。

『レイが書に相応しければ、自ずと“鍵”も分かるよ』
「うわ、無理そう」

 残念と俯くレイに、リシェは慰めるように声をかけた。

『レイなら、きっと大丈夫だよ』
「……期待せずに、待ちます」

 カウンターに、崩れるようにレイは倒れた。
 リシェは、それ以上声をかけずに、店の奥に消えていった。

 それを見て、レイは、目を閉じた。
 ふと、不安がよぎる。


(でも、どうして悪夢の通り、あの場所に仕掛けがあったんだろう)

 夢の通り仕掛けが発動し、中からはとても貴重だという魔術書が出てきた。

(偶然? それとも、何か悪夢と関係がある?)

 夢だと、鼻で笑っていたレイだったが、悪夢に出てきた仕掛けが実在した事
で、再び現実的な恐怖として迫ってきた。

(でも……もしあの2人が探していたのが魔術書だとしたら、これで古遺跡に
行くことはないよね。行かないなら、殺される事も――……)

 無理矢理、恐怖を頭を追い出した。
 暖かい日の光が、レイを、まどろみへと誘っていく。



 意識が遠のいていくのを、レイは感じた。




 


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