「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 急いで古遺跡を逃げ出したレイは、街への道すがら、膝に手をあてて息をつ
いていた。

「なん、なの、あ、れは……」

 レイは、直前に見た白い煙を思い出して、身震いした
 
「気持ち悪……」

 心の底から呟いたところで、レイの耳に低い声が響いた。



『気持ち悪いとは、随分なお言葉だね』













              ○ 理屈屋の魔術書 ○

02-03












「!?」

 どこからか、声が聞こえた。

「ど、どこから――」
『此処』

 振り向いた瞬間、ソレは目の前にいた。

「ぎ、ぎゃあああっ!!」

 白っぽい人影が、目の前に立って――いや、浮いていた。

『そこまで驚かなくてもいいと思うけど』

 驚いたショックで、レイは地面に腰をついた。

「ゆ、ゆ、ゆ……っ!!」

 震える指で、ソレを指す。
 透けて存在するソレは、若い男性の姿をとっていた。

 だが、何よりレイを驚かせているのは、その“顔”だった。

 悪夢で見た、殺された若い男性にそっくりだったのだ。

「じょ、成仏してくださいっ!」

 レイは手を合わせて距離をとった。

『意味が良く分からないけれど……幽霊ではないよ。まあ、生きてるとも言い
難いけれど』

 肩をすくめて、ソレは言った。
 妙に人間らしいソレを見て、レイはやけに気が落ち着くのを感じた。

「幽霊じゃ、ない?」
『違うよ』

 あっさりと、ソレは答えた。
 確かに、よく見ればちょっと顔つきが違う。
 話し方も、悪夢の男性はもっと堅そうな感じだったが、目の前のソレは、
どことなく軽い。


「なんだ……」
『?』

 一気に、レイは息を吐いた。
 目の前で、ソレが不思議そうにレイを覗き込んでいる。

「幽霊じゃないなら驚く必要ないか」
『え』

 それだけ言うと、レイは本当に何でもなかったように立ち上がり、身体に付
いた土や砂を手で払う。

「で、私に何か用?」
『何かって……本当に、驚かないね』
「店の商品で慣れてるから。もっと不気味なのとかザラだし」

 驚かなくなったレイを見て、ソレもあっさりと苦笑した。

『まあ、話が早くて助かるけど』

 日中、堂々と空中に浮かぶソレは、確かに幽霊には見えなかった。

『僕は、本に憑いているんだよ』
「本? もしかして、古遺跡にあった?」

 その彼は、笑ったままレイの右手を指差した。

「え――!!??」

 いつの間にか、レイの右手に、あの本が収まっていた。

「わああっ」

 慌てて本を投げ出したが、その様子を見て幽霊もどきが笑った。

『本の所有者は君だ。君が呼べば、いつでも戻ってくる』
「何それ!? 第一、私、今呼んでなんかない」
『ああ、今回に限って僕が。本を呼ぶくらいなら僕にもできるからね』
「な、何で私なの!!」

 興奮して叫ぶレイを、古遺跡に向かう観光客が、ちらちら見ながら通り過ぎ
ていく。

『あまり大きな声出さないほうがいいよ。僕は君以外の目には映らないんだ』
「え。じゃあ……」

 少し声のトーンを落として、レイは呟いた。
 幽霊もどきが、こめかみに指を立てながら、にこりと微笑む。

『変人』
「……………………」

 慌てて、レイは居住まいを正す。
 声を潜めて、相手に尋ねた。

「何で、私なの」
『君が、見つけたからだよ。この“魔術書”を』

 聞きなれない言葉に、レイは重ねて尋ねた。

「魔術書?」

 相手は、微笑むだけで、答えは返さなかった。

『僕はリシェナル=ノア。君は?』

(リシェナル=ノア。本に書いてあった……名前だったんだ)

「レイ。レイ ノザキ」

 この世界では異質な、自分の名前をレイは述べた。

「ねえ、何であなたの名前が本に書かれてたの?」

 細かい所まで気になるのは、性分だ。

『細かいところを気にするね……いいけど』

 そう、一息入れてから、ソレ――リシェナルは答えた。

『今は、僕の名が本の名であり、所有者を宣言する言葉』
「それって――」
『僕の名前を君が呼んだ時点で、本の所有者は君になった』
「――詐欺だ」

 あんな、誰しも口に出してしまいそうな状況を作っておいて、リシェナルは
暢気に笑っている。

『さあ、レイ。覚悟を決めてね』

 何を、そう言おうとした瞬間、リシェナルが声高く宣言した。


『黒白の書は、今よりレイ=ノザキを正式な所有者とする』


 地面に置かれた本から、光の玉が飛び出し、レイの右手に衝突した。

「いたっ!」

 右手が熱くて、さすりながら覗き込む。


「な――っ」


 右手の甲に、三つ又の矛先をイメージした刻印がなされていた。

「何これ」

 じっとりと、相手を睨みつけた。

『所有の印』
「所有……?」
『黒白の書は、類稀なる魔術書だ。所有者が書を持つと同時に、書もその人間
を所有する』
「はあ?」

 さらりとはかれた不吉な言葉に、レイは眉をひそめた。

『その書、手放せないから』
「………………………………………………はい?」

 続けて、さも当然と言わんばかりに、リシェナルは言い放った。

 文句をつけてやろうかと思ったが、そこでふとレイは考える。

(……別に、問題ないか。重いわけでもないし、何か異変があるわけでもない
し。唯一あるとすれば――)

「ねえ」
『? なに』
「あなた、いつまでいるの?」

 問題は、こいつだ。レイは思う。

(こんなのに四六時中付いて回られたら、堪ったもんじゃない。プライバシー
だだ漏れじゃない)

『いつまででも』

 しかし、レイの願いに反して、リシェナルは平然とのたまった。

「…………本とともに置き去りにしてやる」

 確実な意思を持って、レイはリシェナルに言い捨てた。
 しかし、当の相手は、くすくすと笑っている。

「なに」
『いや、素直だなあと思って』
「は?」

 明らかに褒められてないその口調に、レイは詰め寄った。

『今は、書=君という状態なんだ。僕は書に憑いていると同時に、君にも憑い
ている。君のいる場所なら、どこにでも現れるさ』
「な、な、な……」

 口をパクパクと開けて、レイは愕然と指差した。
 リシェナルは、爽やかに微笑んで、ゆっくりと述べる。


『不束者ですが、よろしくね』


 その笑顔に、邪悪なものが見て取れたのは、レイだけだろう。



「〜〜っ、絶対嫌!!」


 

 


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