壁の胎動は静まり、目の前に、小さな小さな台座が現れていた。

「何、これ……?」

 恐る恐る、レイは台座に近づく。
 台座の上には、古くなった銀で縁取られた、箱が置いてあった。

「取るべきか、取らざるべきか……」

 レイは、極限まで悩んだ。 











              ○ 理屈屋の魔術書 ○

02-02











 王墓を暴いて呪われたように亡くなった人々の話が頭をもたげたが、レイは
そっと、箱に触れた。
 少しの、重量感。

「中身、空だったりして」

 緊張からか、わずかに笑みを浮かべながらレイは箱の正面を見た。

「!」

 手にとって初めて分かった。
 開け口の直ぐ下に、天使の彫刻が施されていた。
 見た瞬時に分かったのは、それが、つい最近見たものだったからだ。

 “悪夢”が入っていた、小瓶の天使。

 一瞬でカラカラになった唇をかみ締めながら、レイは、震える手で箱の後を
確認した。

「っ!?」

 案の定と言うべきか、箱の後面には、悪魔の彫刻が施されていた。
 それもまた、小瓶の悪魔と同じ姿で。

 有頂天だった心は瞬時に冷え、投げ捨てるようにレイは箱を落とした。


 ガチャリ


 妙に重い音を伴い、箱が、開いた。
 逃げることもできずに、レイは箱の動きを目で追った。


 箱から、姿を現したのは、一冊の本。
 有害そうな匂いも、命を奪う罠も発動しない。


 レイは、おびえながらも、本の直ぐ前に立った。
 赤褐色のカバーに、金字で何か書かれた本。垣間見える紙は、年代を経て茶
に変色している。

 見る分には、ただの古書だ。

「…………」

 自分をそもそもこんな境地に追いやったのが好奇心だという事も忘れ、レイ
はその本を手に取った。

 軽い。
 レイは最初にそう感じた。
 かなりの厚さがあるにもかかわらず、その本は、全くと言っていいほど重さ
を感じなかった。

「えっと――」

 本を裏返して、レイは目を見開いた。





「日、本語……?」





 もう長い間見る事のなかった、レイの故郷の文字が、本の表紙には書かれて
いた。

「黒白コクビヤクの書……」

 その字面に不安を覚えないでもなかったが、レイはそれを無理やり考えない
ようにして、本をめくった。

「あ、れ?」

 本のページは、どこを開けてもただ一つの言葉しか書かれていなかった。
 紙に染み込むように書かれたその言葉は、書体も、位置も変えることなく、
 数百ページ渡って書かれ続けている。

(何だ、これ)

 本に大きな疑問を抱きつつも、レイは考えることなく、ぼそりとその言葉を
呟いた。


「りしぇなる=のあ……?」


 口に出した瞬間、本が胎動を始めたかのように、鼓動が手に伝わってきた。

「な、何!?」

 思わず本から手を放そうとしたが、レイの手から本は放れようとしなかった。

「や、やだ……っ!!」

 鼓動の間隔はどんどん短くなっていく。
 何が起きるか分からないが、どうせろくなもののはずが無いと、レイはどう
にか本を放そうと手を振り回した。
 だが本は放れることなく、レイの手と融合したように在り続ける。

 ただ必死に、レイは手を大きく振り回していたのだが、ふいに、鼓動が止ん
だ。

「え……」

 腕を止めて、レイは本を見た。
 何も変わることなく、手の中にある。

「何か、起きた……?」

 先ほどまでの本の鼓動よりも速く、レイの心臓が高鳴っている。
 そっと、空いていた左手も本にのせた。


 瞬間。




 どくん




「!?」

 本が、一回、大きく鼓動した。

「ひっ!!」

 同時に、本から白い煙が立ちのぼる。
 煙は中空に広がると、一つの形に凝縮を始めた。

「〜〜〜っ!!!」

 無意識に手を引っ込めると、先ほどまで全く放れる気配の無かった本が、床
に落ちた。
 それを合図に、煙が明確な姿を作る前に、レイは走ってその場を逃げ出した。




 


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