「ぎゃああああっ!!」

 野太い叫び声で、レイは目を開けた。

「あ、あれ?」

 目の前に広がるのは、飽きるほど見慣れた『金の箒』の店内。
 少し離れた場所で、スキンヘッドの巨漢がコチラを凝視していた。
 巨漢の息はもの凄く荒い。

「て、店長……?」

 巨漢――店長が、怯え半分怒り半分で足音高く近づいてきた。








              ○ 理屈屋の魔術書 ○

01-03









「レイィィイイイ!!」
「ひいいっ」

 青筋浮かべたまま、店長の顔がアップで目の前に迫る。

「あんたねえ! 人が用事を切り上げて帰ってきてやったのに爆睡とはどういう
つもりよ!? いきなり叫ぶから驚いちゃったじゃない!!」
「す、すすすすすすすみませんっ」

 とりあえず、現状もつかめぬまま、レイは頭を下げた。

「ま、アタシが出てから殆ど経ってないんだけどね」
「店長……」

 悪い冗談を言う店長を半目で睨んだが、すぐにレイは息をついて顔を上げた。

「でもアンタがうたた寝なんて珍しいわね」
「うたた寝、ですか……」

 レイはまるで何時間分もの夢を見た気分なのに、うたた寝程度とは。
 外を見れば、相も変わらず雨が降り続けていた。
 空の明るさも、変化を感じない。
 本当に、時間が殆ど経っていないようだった。

「夢、なのかな……」
「? 何よ」
「いえ、あの……」

 先ほどの、あまりにもリアルな体験は、何だったのか。
 夢、の一言で片付けるには、あまりにも鮮烈過ぎた。

「店長」
「あん?」

 レイは、笑われるのを覚悟で店長に先ほどの話を切り上げた。




 * * *





「――ふーん……悪夢を売る男ねえ」
「男とは言ってませんが」
「いいのよ、雰囲気じゃない。理屈っぽいわねあんたは」
「はあ……」

 話し終わった瞬間、店長は呟いた。

「ガセ、ですよね?」

 レイは、あくまで確認のために、そう尋ねた。
 店長(性別男)は、にやりと笑った。
 怖い、レイはそう思った。妖艶というより妖怪だ。

「どうかしら? 案外、本物かもよ。ほ・ん・も・の」
「ありえないです」

 即座にレイは切り捨てた。

「何でよ」
「だってありえないじゃないですか、悪夢を売るなんて。そもそも悪夢の瓶詰め
自体在りえないですし」
「あんた……この店で長いこと働いてるくせに、まだそんなこと言ってんの」

 呆れるように、店長は言った。

「在りえないものなんて、この世にないのよ。あんたが“此処”にいること自体、
普通なら在りえない事じゃない」
「そうですけど……」

 確かに、レイがいること自体、常識では在りえない事なのだ。

「それに、変な与太話するぐらいだったら、普通にその辺の古物商で買取っても
らった方が高く売れるわよ、この小瓶」

 店長のぶっとい指の間で、小瓶が輝く。
 繊細で、美しい小瓶。
 確かに、芸術品として売った方が遥かに高く売れる。

「普通に売ったらどのくらいなんですか?」

 金銭関係には興味を引かれるレイだった。

「そうねえ……3万は下らないんじゃない?」
「3万!?」

 3万M……それは家賃半年分。給料2ヵ月分。服なら100着は買える。

「……懐にしまうのは止めなさい」
「うう……3万」

 涙ながら、レイは小瓶を店長に返した。

「でも、ますます不気味ですね」
「まあねえ……つまり、3万を10で売る理由があったのよ、そいつには」
「3万を10で売る理由……」

 じっとりと、レイの背中を嫌な汗が伝う。

「ま、まさか、ですよね?」

 にま〜っと、店長が笑った。

「あんたの見た悪夢……それが、理由なんじゃないの?」
「………………」

 一気に、レイから体温が奪われた。
 レイは少しだけ、考えた。
 妙に現実的なあの白昼夢。どう考えても良い感じを受けない、あの夢。
 あれこそ、まさに“悪夢”ではないか。

「いいわねえ、この神秘的な感じ! 最高! これでこそ店をやってる意味があ
るってもんよ!」
「何てお気楽な……」

 憂鬱になるレイとは真逆に、店長は有頂天だ。
 いかにも愉快そうに瓶の蓋を平然と持ち上げた。

「あーーーー!!!」

 がくりと、店長の頭が下がった。

 レイは叫んで、店長の手の中から瓶を引ったくり、蓋をした。
 店長は確かに変人で厳しい人だが、レイにとっては恩人だ。
 身寄りもなく金もなく常識もない不審者のレイを引き取ったのは、他でもない
この店長であり、店長のおかげでレイもこうして、割合平和に暮らしているのだ。
 だから、店長にはあんな思いをしてほしくはない。

「店長、店長っ」

 肩に手をかけてゆすろうとした瞬間。
 力強い手で、腕をつかまれた。

「!?」
「なんちゃってー」


 笑いながら、店長が顔を上げた。

「………………………………店長…………っ」

 頬が引きつるのを感じながら、レイは店長を睨んだ。

「悪い冗談、やってる場合ですか」
「ごめん、ごめんー。ビックリした? ね?」
「あーはいはい、驚きました、びっくりしました。寿命が僅かに短くなった気が
しなくもないですよ、ええホントに」

 ため息と共にそういうと、店長は満足そうに頷いた。

「んー、相変わらずレイはからかいがいがあるわねえ」
「……で、どうでした?」

 いい加減受け流して、レイは尋ねる。

「それがねえ、全然見れなかったわあ、悪夢」
「え」
「一回だけなのかしら?」
「ひっ」

 ずずっと、店長が小瓶をレイに突き出す。
 反射的に、レイは後ずさった。

「わ、わわっ」

 椅子に引っかかって倒れそうになるところを、店長に引っ張られた。

「安心しなさい。さすがにアタシもそこまでやんないわ」
「……すみません」

 自分でも分からないが、あの夢は相当なトラウマになったらしい。過剰な反応
をしすぎてしまった。

「いいのよ。そんな思いさせちゃったアタシにも責任あるし。どうせ幻覚香とか
で見た夢のことでしょ。気にしなさんな」

 けたけたと笑う店長を見て、レイは引きつりながらも微笑んだ。

(夢、か……)

 今も、手が血で濡れているようだ。肉を裂き、骨に剣が当たる感覚が、鮮明に
思い出せる。
 ただの悪夢と言い切るには、現実に近すぎる。

(それに、あの場所……)

 迷いつつも、レイは意見を口にした。

「店長、その悪夢の場所……何か、覚えがあるような気がするんです」
「覚え?」
「はい。何か、すごく身近な所で……」

 はっきり言い切れないレイに、店長がマジメな顔で尋ねた。

「そういえば、場所に関しては詳しく聞かなかったわね。どんな所?」

 あまり最後の方の記憶には触れずに、レイは悪夢を思い出す。

「湿った、石畳の床に石の壁……暗くて、闇の中……」

 極力、惨状の記憶にかすらないようにしているためか、思い出す作業は遅々と
している。

「――そういえば、柱がありました」
「そりゃ建物なら柱くらいあるでしょうよ」

 店長の茶化しにも負けず、レイは続ける。

「違くて、こう……柱に装飾があったんです。それが妙に引っかかって……」

 ちらりと店長を見れば、眉間にしわを寄せた後、ぼそりとつぶやいた。

「レイが覚えてる石造りの立派な建物なんて、一箇所しかないじゃない」
「一箇所……………………あ」

 思い当たった。


「森の古遺跡……」


 レイが住む街の外れに、古代の遺跡がある。
 それこそ、魔法時代まで起源を遡る、歴史のある遺跡だ。だが。

「でも、あそこ、観光地ですよ?」

 その遺跡は、今や観光地として体系化されていて、年間数多くの観光客を呼ん
でいる。かくいうレイも、店長に連れて行ってもらったことがある。
 明らかに、殺人現場には不向きだ。

「そうよねえ……さすがにあんなところで殺人も何もないわよねえ」

 店長も、呆れて笑った。

「そうですよ。入り口には料金所だってあるの――」

 笑い飛ばそうとしたレイの脳裏に、声がよみがえった。


『――秘すべきものと考えられているからこそ、このような場所にあるとは思い
ますまい』


 笑いが、止まった。
 年を経た男性の声が、脳内に木霊するようだった。

(秘密にはそぐわない場所…………観光地なんて、ばっちりそんな場所じゃない)

 寒くも無いのに、体が震えた。
 どうしようと悩んでいるレイに、店長が一声かけた。

「あんた、本当に大丈夫? 明日は休みあげるから、ゆっくりしないさいな」
「え。本当ですか? ありがとうございます」

 休みの一声に、レイは笑顔で顔を上げた。
 それを確認して、店長は破顔した。何だかんだと人情的だ。

「はいはい。その代わり、しっかり休むのよ」
「はいっ」

 珍しく声を高くして、レイは店番に戻った。
 考えることを放棄して、仕事に専念する。




(……明日。明日、考えよう)






 


          前へ           小説へ           次へ

Copyright (C) 2006-2008 Ao All rights reserved.