ハクアは、ウォルカにのしかかるように広がる森を見て、息を呑んだ。
 これほど深く暗い森を見たことがなかった。
 実習で何度も通った森とは、位が違う。
 圧倒的なプレッシャーを感じて、ハクアは思わず身体を抱きしめた。

 これが、『恵みの森』。

 何処の誰がそんなお気楽な名前付けたんだ、ハクアは毒づいた。






            ○ 文通恋愛 ○






「さて皆さん、本日は卒業課題についてです」

 ざわざわとしていた室内が一瞬にして静まった。
 いつもはサボっている生徒も、今日ばかりはきちんと教室にいた。

「卒業課題は単純です。自分の納得できる杖を作ってください。細かい定義は、
これから配る紙に書いてあります。しっかり読んで、準備を行ってください」

 講師はそれだけ言うと、持っていた紙を一番前の席に座る生徒に渡した。
 最後列に座っていたハクアだったが、紙は回ってこない。
 前に座る生徒たちが、顔を見合わせて笑っている。

 随分お上品なことだ、ハクアは思った。

 嫌がらせを受けて5年。もう慣れていた。
 紙が来る代わりに、ハクアは手元の紙に聞き取れるだけの情報を書き留めた。

 最初は講義をよく聞くために最前列に座っていたが、講師の見ていない隙に
投げつけられるゴミなどの嫌がらせに腹が立って、最後列にしたのだ。
 まあ、後ろになったらなったで、課題の紙は回されない、もしくはインクが
ついてる等の嫌がらせはあったが。

「このあと仮許可証を配りますから、しばらく待機していてください」

 言いたいことだけ言うと、講師は教室を出て行った。

 その場で待機。ハクアが最も嫌いな時間だ。
 何故なら――。

「ねえ、貴女、どうなさるんですの?」

 近くに座る少女が、ハクアに向かって声をかけた。
 侮蔑の視線が、あちこちからハクアに向けられる。

「今回は学校からは何も支給されませんのよ」
「……」

 ハクアは少女を見ずに、手元に書きとめた情報を整理していた。

「貴女に材料を集める方法がありまして?」
「そんなの聞くだけ無駄だろ。指定の制服も揃えられないのに」
「まあ……クラスメイトとして、助言くらいしてあげませんと」

 あちこちから、クスクスと笑う声が聞こえる。
 明らかに親切心とはかけ離れた視線を感じつつ、ハクアはため息をついた。

「土下座くらいすれば、学校の森に入れてくれるんじゃありませんこと?」
「それ、助言かよ」

 笑い声は、大きくなる。

「ま、お前なら道端の枝がお似合いだろ」
「我が家の庭の枯れ枝でもいるかい?」
「まあ、優しい。では私は――」

 ハクアは、全ての情報を遮断して紙を読んでいた。
 その彼女の肩を掴み、少年がハクアの身体の向きを変えさせた。
 思わずハクアは、全力でそれを振り切って、立ち上がった。

 上等な服に身を包んだ少年は、複雑な視線を投げつつ、歪んだ笑みを浮かべる。

「貧乏人がお情けで此処まで通わせてもらったのに、何だよその態度は」

 笑ったまま、彼は続けた。

「俺たちが払う学費の一部でお前は通えてるんだろ? そんな態度とっていいのかよ」

 ハクアの手元にあった紙を掴み、握りつぶすと、窓から投げ去った。
 それを見て、ハクアは、少し苛立つものを感じた。それでも、彼女は動かない。
 此処では、何をされても歯向かうだけ無駄だ。

「何か話したらどうなんだよ」

 ハクアはそれでも、何も言わなかった。
 少年が何か続けようとしたとき、扉の開く音が聞こえた。

「席に着いてください」

 少年は舌打ちをすると、向きを変えて自席に戻っていった。

 講師は一人ずつ仮許可証を配り、話を始める。

「先ほど話したように、材料は何を使っても構いません。ただし、薬品中には許可が
必要な物もあるでしょう。その時は、今配った仮許可証を使ってください。大概の
物には有効なはずです。
 次に作成後ですが――」

 こうして最後の講義が終わったあと、ハクアはすぐに教室を出て、講師室へと
向かった。
 あんなクラスメイトのいる場所、長くいて堪るか。



 ハクアの通う、この『シルヴェニカ学院』は、魔杖師のための国立学院だ。
 ただ国営と言っても、国の認定を受けているだけで、管理まで行っているわけ
ではない。
 実質は、貴族の子息が通う体のいい寄宿学校だった。

 魔杖師を希望する者は、認定された学校に通う必要があるが、近くの街にはこの
学院しかなかった。

 その上、ハクアは孤児だった。
 孤児院で育ち、自由になるお金もない。
 だから、奨学金の出る国立学院に通う道しかなかった。

 別に、魔杖師になりたかったわけじゃない。
 でも、早く一人立ちして孤児院への負担を無くすには、寄宿舎のある学院に入る
のが一番早かっただけだ。

 だから、浮くことが分かってても、この学院に入った。
 そこで嫌がらせがあるとは思わなかったけれど。



 講師室で課題内容を聞きなおし、図書室に到着したハクアは、必要な資料を集める
ために各コーナーを歩いて回った。

「あれ?」

 走ってここまで来る間に収めた苛立ちが、再び上がってくる。
 集めたい本が、一冊もない。
 司書の所まで行き、探したい本を一冊残らず列挙した。

「ああ、それね……その、全部予約が入ってるのよ」
「は?」

 司書の女性が、目を逸らしたまま、そう搾り出すように答えた。

「全部……ですか?」
「ええ、そう、なの」

 ハクアは、教室よりも食堂よりも、数多くの時間を図書室で過ごしてきた。
 課題をとく時も、調べ物をするときでも、他に情報ソースのないハクアにとって、
図書室だけが、唯一外界との窓だった。
 その分、司書の彼女とは誰よりも仲良くなった。
 だから、分かる。

「予約が入ったのは、いつですか?」
「つい……さっきよ」

 司書の彼女さえ、とても悔しく思っているのを。

「そう、ですか」

 それしか言えず、ハクアは図書室を駆け出した。
 犯人なんて分かってる。

 陰湿な嫌がらせばかりするクラスメイト。

 ハクアの視界がにじむ。
 息を荒くして、ただただ走った。

 貴族以外、同等と認めない高慢な生徒たち。
 最初はそれに苛立って、何度も口答えしたし、講義した。
 でもそれは、良くなるどころか、相手をムキにさせただけだった。
 だから、必死で学び、成績で認めさせようとした。
 ハクアは学院で一を争う生徒となったが、それも相手を煽る材料となっただけ。
 結局、卒業を控えたこの時期まで、その嫌がらせは続いた。

 ハクアは何も考えず、学院付属の森まで走っていた。

(悔しい悔しい悔しい悔しい……っ!!)

 必死で走っていたハクアは、足元の木の根に気付かず、そのまま激しく転んだ。

「……かっ……ぅくっ!」

 顎を打ちつけ、腹部も強打したせいで、息が上手く吸えなかった。
 色んな感情が浮かんで、涙がこぼれた。
 一度出た涙は二度と抑えられず、次から次へと溢れ出る。

 どうして!

 その疑問と悔しさだけが、絶えずハクアに浮かんでくる。
 ハクアと違い、貴族である彼らは、此処の図書室以外にも沢山情報ソースを
持っているはずなのに。
 事実、図書室で自分以外の生徒を見たことなど、ハクアは殆どなかったし、司書は
常々「暇だ」と口にしていた。

 これも、嫌がらせの一環なのだと分かっていても、ハクアは受け入れられなかった。

 卒業試験で作成する“魔杖”は、同時に認定試験の対象にもなる。
 認定試験は3年に一度受けられるもので、魔杖師のランクを決める大切なものだ。
ランク次第で、入る仕事も杖の価値も変わるし、何より特殊な場所に採取に行く場合
必要なる許可証も、ランクによって発行されるかどうかが決まる。
 そして、認定試験が受けられるのは3年毎とは言え、降格や昇格にあたる相応の
理由がなければ受けることすらできない。

 実質、最初の認定次第で、その魔杖師の将来が決まると言っても過言ではない。


 でもこれでは、ろくな情報が手に入らない。
 ろくな材料が、手に入らない。

「何で……っ!!」

 嫌がらせを受けても続けてきたものが、全て目の前で崩れてくる。


 目が溶けるんじゃないかというほど泣いて、ハクアは呆然と空を見つめた。
 夕焼けが、訪れる夜が、まるで自分のようだと思った。

 明るかったはずの未来が、焼けて、そして消えていく。

「こうやって消えてく人が、今まで何人いたのかなぁ」

 そう、呟いた。

 目を閉じる。

 様々な光景が巡ってきた。
 此処での楽しい思い出を探るのは、とても難しい。
 嫌な思い出だけが持ち上がってくる中、唯一とも言える、『師』の記憶がよぎった。

「コウネ師……」

 昨年定年で退職した、コウネ講師。今は夢だった夫婦世界旅行に出かけてるとか。
 見た目は優しいおじいさんだったが、中身は割りと鬼だった。
 鬼講師。何度ハクアはそう思ったことか……。
 でも、授業は厳しくとも、優しい講師だった。
 惜しみなく自分の持つ膨大な知識を生徒に与えようと、精力的に講義を行っていた。

 杖に注ぐ薬品調合で失敗したこと。有名な森に材料搾取に出かけ死にそうになった
こと。杖を暴発させて工房を追い出されたこと。色々話をしてくれた。

(ごめんなさい)

 一から魔杖を製作するには、3ヶ月は十分じゃない。
 図書室という情報源を持っているからこそ、構想、設計期間や、採取場所への移動
期間が短くなり、そこで始めて間に合うようになるものなのに。

 師のように沢山の場所に行っていれば、こんなことにもならないんだろうけど。

「でも師だって、よく調べずに行った『恵みの森』で死にかけ――」



 ガバッと、ハクアは身を起こした。

 そうだ。其処だ。

 記憶で行き着いた絶好の場所を思い、ハクアは立ち上がった。
 急いで準備をするべく、走り出す。
 旅費を出してもらうには、計画書を提出しなきゃいけない。
 早く部屋に戻って、仕上げなくては。

 現地に行ってからすべきことは沢山ある。


 其処は、人々に恵みを与え、同時に死をも与える『恵みの森』なのだから。

  



 


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