「今日もおはようございます、ササゲ様」

 寒空の下、少女は高台にある小さな祠に手を合わせた。
 本当は、お世辞にも“祠”とは言えないような立派な物ではなく、ただ崖の一部
に穴が開いているだけなのだが。
 ただ、その穴の底辺の中央部分が盛り上がり、まるで祭壇の様になっている。偶然
起きた自然のイタズラだが、はるか昔の人に“小さな神”の存在を信じさせるには
十分だった。

 だから、この崖のある森の麓――小さな村“ウォルカ”の村人は、毎朝高台まで
交代で花を生けに行っていた。

 例えそこが危険な魔物の多い“魔の森”であっても、祠までの道だけは安全だった。
 それがまた、村人たちに“小さな神”の存在を信じさせた。
 

 だがそれも今は、昔の話――……。






              ○ 文通恋愛 ○






「えっと、神様神様、おはようございます。
毎日毎日いい加減飽き飽きしているでしょうが、」

 ハクアは毎日“小さな神”に祈ってた。

「どうか『彼』が今日も元気でありますように」

 ハクアの一日は崖に出来た小さな祠にお祈りすることから始まる。
 朝食代わりのベリースコーンを祠の前に置いて、一輪の花を供える。

「……無駄だって分かってるけどね」

 毎日消えている食べ物は、森の動物たちのご飯になり、消えた花も風や鳥や虫など
が運んでいるんだろう。
 それでも、彼女は“小さな神”様に祈りが届いているようで、参拝を続ける。


 ずっと前、ハクアが花の18だった頃、彼女は森で命を救われた。


 名前も知らない青年に、森で魔獣に襲われたところを救われ、この祠に導かれた。
 彼の言葉は、時の経った今でも覚えている。
 “小さな神”と祠の話も、彼から聞いたのだ。この祠から街への道は、獣に襲われる
こともない“参道”なのだと。だからこの道を下って、街まで戻れと言われた。

『お前の命は、森で散るべきじゃないだろう?』

 いつまでも響く、『彼』の声。


「どうしてあの時、名前すら聞かなかったんだ……」

 私の馬鹿あ!! ……ハクアは同じく毎日同じ文句を叫んで、お祈りを終えた。

 祠を磨くために持ってきた布と水筒を持ち上げた。
 最後に、この地方に伝わる4本糸を編みこんだ紐を花に結びつけ、「贈り物です」
と呟いてから、その場を離れる。
 後ろ髪を引かれるように、高台を下る。

 今では誰も訪れることのない、小さな高台。
 この道を知るのも、ハクアだけなのかもしれない。
 それほど、誰ともこの道ですれ違うことがなかった。

 人々の心はもう、小さな迷信上の神などではなく、教会の大神を拠り所としている
のだから。





 ウォルカの街に戻ったハクアは、開店の準備を始めた。
 歓楽街の中の、じめっとした裏道にある小さな小さな工房。
 職人として駆け出しのハクアが借りられる場所は、この位が限度だった。
 夜の街で生きる人々や、たまに現れる物好きくらいしか客はいない。

 つまり、ひどく貧乏だ。

 それでも、ハクアはこの街にしがみつく。

 森で『彼』に命を救われてから、この街以外で生きられなくなった。

 もう一度『彼』に会いたい。

 比較的冷めた子どもだったハクアにとっても、この熱がどこから湧くのか分からない。
 この熱がどんな意味を持ち、どんな感情に起因するのか。
 絶えることなく、人生を変えるほどに溢れ、それでもその気持ちはハクアを侵す。

 一度会ったきりの『彼』と再会する確率は、ほぼゼロに等しい。
 あんなに強かったのだ、『彼』は“傭兵”なのだろう。


 大都市ウォルカは、『恵みの森』で発展した街だ。
 『恵みの森』は独特の生態系をもつ森で、此処にしかない貴重な鉱物や動植物を
求めて数多くの人々が訪れる。
 その人々をターゲットとして宿や歓楽街、商店街が築かれ、今では国でも有数の
大都市に発展したのだ。

 ただ『恵みの森』は、人にとって恵みをもたらす他に、森にも“恵み”をもたらす。

 人は貴重な何か(動植物であったり、鉱物だったり)を求めて森に入る。
 その“人”を求めて“獣”が徘徊する。
 獣を避けるため、あるいは狩るために“傭兵”が雇われ、その傭兵を求めて
“魔獣”が跋扈する。
 特異な力を持つ魔獣は、より強い“人”を食物とするからだ。

 魔獣は、肉と同時に“魂”を食す。肉体的でも、精神的でも、鍛錬を積んだ人間
であればあるほど、それは魔獣を喜ばす贄となる。

 その魔獣は自然を“創り上げ”、森を保っていく。


 そうして循環する森によって出来上がった街、ウォルカ。
 住む人々以上に、一時を過ごす人々の方が、はるかに多い。
 『彼』も、一時的にこの街に居た人間の一人である可能性が高い。
 傭兵が一つの街に居つく可能性は、とても低いからだ。

 それでも、欠片よりも小さな希望にしがみつくように、ハクアはウォルカにいる。
 
 


 こうして今日もハクアは淡々と店を掃除し、花を生け、品物である“魔杖”を磨く。
 店の前を掃こうとして外に出たところに、遠くから人影が近寄ってくる。

「やあハクア。今日も貧乏臭く働いてるな」
「リードさん」

 気障ったらしく(これはハクアが常に思っていることだ)白い背広を着こなし、
さらさらの金髪をなびかせて長身の男性が現れた。

「今日も朝帰りですか?」
「あいにく女には困っていなくてね」

 肩をすくめるリードに、ハクアは思った。

(だったら何故歓楽街に)

 確かに彼は美形だが、ハクアはその、人を見下す態度が好きじゃない。
 多分それは、彼女自身が見下され続けた経験がある為に他ならない。

「でしたら背中に気をつけてお過ごしくださいね」

 では、そう言って店に戻ろうとしたハクアの肩を、リードが掴んだ。

「君はいつもそうやってすぐに話を切ろうとするな」

 そりゃアンタが苦手だからです、とは言わない。

「君の悪い癖だ。人の話は最後まで聞くものだ」

 アンタじゃなかったらね。
 思わず口から出そうになったのを、手で押さえる。

「だって、またあの話でしょう?」
「分かってるじゃないか」

 だからさっさと逃げたかったんですよ、と今度はぼそりと呟いた。

「僕と付き合え」
「お断りです」
「何故!?」

 僕と行動を共にしたくない女などいるはずがない! と頭を抱えるリードを見て、
ハクアはため息をついた。

「リードさんくらいなら杖屋の店主なんか誘ってないで、他の傭兵さん雇って
下さいよ」

 別に艶っぽい話じゃない。
 森への散策を手伝えと言っているだけだ。
 言葉が極端に足りない人だと、ハクアは思う。
 見下す態度以上に、その口調が恨みを買うんじゃないかとハクアはにらんでいる。

「何を言う。幸運の娘。君がいれば安全性が上がるだろう」
「知りませんよ、そんなの……」

 一部ではハクアは“幸運の娘”として変に知名度がある。
 その理由は、獣や魔獣が跋扈する森を、護衛も連れずに無傷で歩いているからだとか。

 つまり、リードは単にビジネスの相手としてハクアを誘っているのだ。

「とにかく、お店を空けるわけにはいかないんです」
「来る客もいないだろうに」
「そ、それはそうですけど、それとこれとじゃ話は別ですっ」
「なら僕が――」

 なおもリードが話を続けようとしたとき。

「ハクア?」
「!?」
「あ」

 色っぽい低めの声が、後ろからかかった。

「ミューシャさん」
「ハクア、おはよー。あら、そこにいるのは――」
「僕はこれで失礼するっ。ハクア、考えとけよ!」

 そう言い逃げして、リードは去っていった。

「あら残念」

 ミューシャは赤い唇から小さな舌を出して、ハクアに片目をつぶって見せた。
 その仕草は色気発つようで、自分が男性だったらあっというまに虜なんだろうな
と、ハクアは微笑んだ。

「ミューシャさん、助けていただいて有難うございました」
「気にしないで。あたし、ああいう男嫌いなの」

 ミューシャは、緩やかに巻かれた栗毛の長い髪をかき上げながら、笑った。

「相変わらず漢らしい……」
「いやっ。男って言わないで!」

 ミューシャは、歓楽街で一番人気を争う“男性”だ。
 つまりはそういう世界の方。
 客観的に見て少数派の“彼女”だからこそ、リードのような、順位を付けたがる
人間を嫌う。
 リードの怯えようを見ると、過去に何をしたのか。

「そういえば、昨晩は同伴で?」
「そうなの。中々放してくれなくて、だからこの時間。今から寝に帰るのよ」
「そうですか……お茶飲んでいきますか?」
「いいの? うふふ、ホントはそれ目当てだったんだけどね」

 艶やかに笑って、ミューシャはハクアが促すままに店に入った。
 横を通り過ぎるときに香った何とも良い香りに、ハクアは羨望の眼差しを向けた。

 ミューシャは店に入って、勝手知ったる他人の家とばかりに手を洗う。

「用意しますから席に着いててくださいね」
「ええ。ありがとう」

 しばらく経って、軽い朝食の準備をし、お茶を入れる。

「ん〜……っ、おいしいっ」

 ミューシャが顔を綻ばせて笑った。
 ハクアは、こういう人の笑顔を見るのが好きだ。そのために、店をやっているん
だろうかと思う。……滅多に来ないが。

「やっぱり、ハクアの作る食事が一番好きよ」
「えへへ……ありがとうございます」

 ハクアは決して、素晴らしい料理人ではない。普通の食事しか用意できない。
 でもそれは、色街に生きるものにとっては何よりも欲しいものなのかもしれない。
 実質ミューシャは、ハクアの飾らない、素朴な性格が好きだった。

「そういえばこの間の杖、評判良いのよ」
「ホントですか? 良かったー……」

 ハクアは、“魔杖屋”だ。
 杖の元となる材料を切り出し、飾りをつけ、薬品を振り、不思議な力を持つ杖を
作り出す。
 何も身の丈半分ほどの大きさが全てではなく、煙管程の大きさのものもある。
 ハクアが作るのは、このサイズのものだ。魔除けとして持つ者が多い。

「でもあんな高価な物渡して、大丈夫だったんですか?」

 魔杖は付属する力によって価値が大きく違う。ハクアはまだまだ駆け出しだが、
作る杖のランク認定ではA+。上から2番目だ。
 様々な特殊効果を持つ杖を作ることは出来るが、持続力がない。
 それでも、お守りとして持つには十分すぎるほどだ。

 ただ、作るには手間がかかる上、材料が限られるから値段が高い。
 相場よりは安く売っていても、下手な宝石よりも高い。

「あら何故?」
「相手に誤解されたりとか……」

 色町の娼に熱を上げる客は多い。相手が高価な物を贈ってくれたとなれば、
期待もするだろう。

「いい、ハクア」
「はい?」
「お客から頂いたものの一部は、相手に還元するものよ。これが固定客を持つコツ」
「は、はあ……」

 あの額で一部……。ハクアはちょっと自分が悲しくなった。

「あとは無駄に笑顔で接することよ。ハクアも客商売なんだから、笑顔笑顔!」
「うう、苦手分野だ」

 ハクアは人見知りだ。
 話しかけられれば笑顔で話すが、自分からは話しかけられない。
 客商売の人間としては、それではいけないと思うが、性分なので中々変えられない。

「あとはお化粧なんだけど――」
「いや、いいですいいですっ。ほらミューシャさん、もうこんな時間ですよっ」
「あら本当」

 口を軽くぬぐって、ミューシャは時計を見た。
 夜になれば、またすぐ仕事だ。

「そうでした。ミューシャさんに渡そうと思ってたんです」
「なぁに?」

 ハクアは、森で採ってきた香木の欠片を渡す。

「まあ……いい香り……」

 猫のようにミューシャは目を細めた。笑顔になったかと思ったら、すぐに睨まれる。

「さっそく部屋に飾るわ。でも――ハクア?」
「え」
「あなた、また森に行ったのね」
「い、いやだって、それが仕事――」
「ハクア」
「う」

 狼を前にした羊の気分だ。

「森がどれだけ危ない場所か分かってるでしょう? 死ぬかもしれないのよ?」
「でも、森に入らなきゃ杖が作れませんし……」
「人を雇いなさい、人を!」
「いや、貧乏なので……」
「命とどっちが大事なの! いざとなったらあたしが養ってあげるわよ」
「いやさすがにそれは……」

 ハクアとて、ミューシャの気持ちが分からないわけじゃない。
 でも、森にはどうしても行かなくちゃいけない。

「お客が貴女の話をするたびにどれだけ不安になることか……」
「ミューシャさん」

 ごめんなさい。口の中で呟いて、ハクアは笑った。

「ありがとうございます。ミューシャさん」
「……」
「そんなに心配してくれるの、ミューシャさんだけだから、すごく嬉しいです」

 素直に礼を言うハクアを見て、ため息をついた。

「でも、やめる気はないのね」
「はい」

 今度も、ハクアは笑顔だ。

「……そういうところ、変に気が座ってるんだから……」

 結局、いつものように、ミューシャが折れる。
 森は、ハクアにとって掛け替えのないものだと分かっているから、それ以上は
言わない。その理由は知らないけれど、ただ感じる。

「気をつけなさいよ」
「はいっ」

 ハクアも、ミューシャの気持ちが分かるからこそ、呆れつつも嬉しい。

「あと、変な野郎が来たら、あたしに言いなさいよ」
「いや、そんなのあの人くらいですよ」
「分かんないわよ、そんなの。ハクア鈍そうだもの」
「にぶ……そんなことないです。というか、そんな物好きいませんて」

 ハクアは、美人でも可愛くもない。客観的に見て、中の中、中くらいど真ん中だ。
 スタイルが良いわけでもないし、とことん普通。

「その普通さがうける男もいるのよ」
「は、はあ……まあ、趣味は人それぞれですから」
「いい? 絶対、言うのよ」
「わ、分かりました」

 ハクアは、絶対そんな人いないと思いつつも、剣呑に光るミューシャの目を見て、
否定できずに頷いた。
 一方ミューシャは、分かっていないハクアを見てため息をついた。
 此処にも一人、本気で養ってもいいと考えるくらいの人間がいるのに、彼女は
知らない。

 ミューシャは、両刀だった。


 その後軽く話をした後、ミューシャは帰って行った。

 ため息をついて、ハクアは時計を見た。
 ミューシャは大好きだけど、精気を吸い取られる気がする。

 にしても、開店まで少し時間がある。
 カウンターに座って、ハクアは目をつぶった。


 


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