弐、 幻影と現実と遺書1



「意外に平和」

 おどろおどろしいものを連想してたわけではないけど、森の中は普通に綺麗
だった。日の光が木々の間に差し込んで、幻想的な舞台を作り出している。
 鳥の声もコーラスを奏でていて、癒し空間だ。

「仮病使って休んだ甲斐があったってもんよね」

 三連休にプラスして仮病一日。四日もあればさすがに帰って来れるでしょ。
 ただ……。

「……」

 写真の謎が解けなかったとして、私は家に帰るだろうか?

 あの、『笑顔』の謎。

 それが、私がここまで来た理由。
 あからさまに怪しい手紙に乗せられて、休みを取ってでも来たのは……。

 私はもう一度ポケットから写真を取り出した。
 モデルは相変わらず、満面とまでいかないのに、見てるだけで微笑ましくなる
表情で微笑んでいる。
 まあ、私にそっくりな顔だから、けして美人じゃない。
 なのに、これほどに私を惹くのは、間違いなくこの表情だ。

 幸せがにじみ出るこのモデルとなった人物は、本当に『私』なんだろうか?
 今まで生きてきて、私はここまで――他の人まで幸せにするような、そんな
笑顔を浮かべたこと、ない気がする。

 一体何が、この人にこんな表情をさせるんだろう?
 画家? 環境? 境遇?

 ――それが、知りたい。


 そんな風に、ぼうっと歩いていると、強い風が服を舞い上げる。

「わっ」

 慌てて服を押さえると、緩んだ指から写真が飛ばされてしまった。
 写真は風にのって茂みの奥へと消えていった。

「やばい、やばい」

 服を押さえつつ、写真を追いかけて茂みをかき分ける。
 風から身を隠すように中腰になって、足元を見つめるが、見つからない。
 足元には落ちていないということは、木の裏にでも落ちているんだろうか。

 そして、顔を上げた。


「……え」


 木の横で顔を上げた瞬間、誰かの足元が目に入った。
 足にそって顔を上げていくと、その先にはちょっと驚くくらい見目麗しい顔が
あった。

 洋風のきらびやかな顔じゃなくて、和風の、翳と艶のある顔。
 黒髪、切れ長の黒い瞳が、よく着物に合っている。
 上質の着物を着て、姿勢を正して立っている姿は、まるで絵画のようだった。

 青年――いや、男性は、食い入るように写真を見つめている。
 形の良い唇をしっかりと結んで、瞬きすらも惜しむように立っている彼は、
私の存在には全く気付いていない。

 本当だったら、このまま眺めていたいくらいだけど、今は先を急いでいるし、
あの写真だけは失くすわけにはいかない。

「あの、ありがとうございます」

 思い切って、男性に声をかけた。
 すると男性は、驚いた風でもなくこちらを振り返った。

 ただ、私の顔を見ると、少しだけその鋭い目を見開いた。

「これは……」

 男性が写真を私に差し出しながら、言葉に出した。

「それ、私のなんです。拾ってくださって、どうもありがとうございます」

 でも男性の手はそこで止まってしまった。
 あれ。くれないの?
 仕方ないので、写真を受け取ろうと男性に近寄る。

 そこで、彼から再び声がかかった。

「君は――」

 思いがけず、高みから落ちてくるその声に、私の身体に緊張が走る。
 身を守るかのように肉は固く、鼓動は大きく。
 こわごわと顔を向ければ、深く黒を湛えた瞳とかち合った。

 何だ、これ。

 息をのんだ。
 鼓動が止まる――そう思わせるほど、周りが静かに感じる。
 彼の声だけ、私に響いた。

「朧」

 彼の手が、写真と共に、私に触れる。


 ――その瞬間。


「っ!?」


 彼は、かき消えた。

「え? え!?」

 辺りを急いで見回しても、人の姿は全くない。
 鳥の声がにぎやかな、先ほどまでの普通の森。

 残ったのは、落ち着かない鼓動だけ。

「ど、どうなって、るの……?」

 全く分からない。
 恐いとも思わなかったけど、訳がわからん。

 しばらく呆然とした後、自分が訪問途中だと思い出して、慌てて道に戻った。



 


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