壱、 過去からの招待状




 失敗しない人間なんているんだろうか?
 電車に乗り損ねた。お弁当の箸を忘れた。水溜りで靴に水が入った。
……程度の差はあれ、誰だって失敗の一つや二つあるはず。
 だから、私がこうして落ち込んでるのだって普通のことなはずだ。
 確率的に言えばほぼ毎日起こり得る『失敗』のうちの一つなだけ。

「はああぁぁぁ……」

 なんて理論で気分が晴れるわけない。
 もの凄い失敗をしてしまったせいで、帰りの足取りが激しく重い。

「もうヤダ……」

 泣きたくなる気持ちを堪えて、足を家へと進める。
 空は曇りで空気は湿りすぎてるし、上手くいかない日は何でこんなに
嫌なことが重なるんだろう。サービスで『美形と衝突、ベタな展開の後
恋愛ルート突入!』とか起きたっていいと思う。
 神様って仕事してんのかしら。

「はぁ…………」

 半泣きで家にたどり着くと、ポストから白い紙がはみ出していた。
 珍しい、そう思いながら蓋を開けると、そこにあったのは白い封筒だ。

「誰から?」

 宛名は私の名前で、差出人は……。


「『神津森 時人』?」


 知らない名前。
 さすがにこんな長いご立派な名前だったら、記憶の隅に引っかかる、と
思う。多分。

「かなつもり……ときひと、かな?」

 カミソリが入ってそうな気配もないし、封筒を丁寧に開きながら、玄関
の扉を開けた。



 封筒には便箋が二枚と、写真が二枚。さらに白い封筒が入っていた。

「何々?」

 それは確か、こんな内容で。まあ、現代語への変換が必要なくらいの“正しい”
日本語で書かれていたんだけど。
 ……もの凄く丁寧な書き出しに文体だったので、細かいところは吹き飛んだ。
 ただ、基本の部分だけで、私に衝撃を与えるには十分だった。



 『 ――突然の手紙に驚かれたかもしれません。
   私は神津森家現当主、神津森 時人と申します。
  
   私の曽祖父に当たります四代前の当主、神津森 雪哉に
  代わりまして貴殿に封書を送付させて頂きました。

   百年程前に他界致しました曽祖父の遺品となります、
  彼の描いた絵画に、貴殿の氏名、所在地、そして送付すべき
  年月日が記されておりました。
   加えて横には遺書――神津森家として記載の日に確実に、
  貴殿へご連絡差し上げるよう定める旨が刻まれております。
  
  誠に勝手な申し出とは存じますが、曽祖父の遺品に関し、
  貴殿を当家にご招待させて頂きたいと考えている所存で
  御座います。
  宜しければ、同封致しました写真と――』


 読んだものが、すぐには理解できなかった。
 正直、何だこれ……そう思った。
 
 百年前の人が、私に連絡を取れって?
 そんなの、在りえない。
 手の込んだイタズラかよ。スパムメールより根性あるな。

 冷めた気持ちで、封筒からはみ出した写真を裏返した。






 * * *






「うわ、意外に寒い……」

 空港から出た瞬間、地元とは違う肌寒さが襲った。
 航空券と神津森家までの地図が入っていた封筒を片手に、タクシー乗り場まで
足を進める。

「あの、すみません」

 閑散とした乗り場に止まっているタクシーの運転手に声をかける。

「こんな時期にお客さんとは珍しい。はいはい、何処までですかね?」

 温和そうなおじさんが車の陰から現れた。

「えっと……お、朧の森、でいいのかな? そこまでお願いします」
「……………………」
「あ、あの?」

 おじさんは私を凝視した後、何度も頷いて扉を開けた。

「はい分かりました。どうぞお嬢さん」
「?」

 不思議に思いつつも、タクシーに荷物を入れ、中に落ち着いた。
 手紙によれば、車で三十分ほどかかるらしい。


 車が走り出し、ゆっくりと空港が小さくなっていく。



 意外に心地よいシートに寄りかかって、大きく息をつく。
 手に握った封筒から、紙がはみ出している。
 そっとそれを引き出し、目の前にかざした。

「何で」

 手紙を受け取ってから離れない疑問が、口をついて出る。

 紙――写真には、人物画が写っていた。
 
 写真に写っている人物画は、芸術に疎い私でも心動かされるほど鮮やかで、
涙が出そうになるほどに優しい。
 描かれている女性は、見ている者を破顔させる程、幸せそうに微笑んでいる。
 構図が、色が、モデルが、画材さえもが作り出すその空気は、写真ですら
心を震わせる。


 ただ、そのモデルは……――『私』だった。


 現実的に考えれば在りえない。
 常識と照らし合わせれば、瓜二つの人物がモデルなんだろう。現世ですら
三人似た人物がいるのだ。過去まで合わせたらどうなることやら。

 問題は、私がそう思わないこと。
 心が、いや、私の何かが『これは私だ』と痛いばかりに叫んでいること……。

 もう一枚の写真は、絵画の裏を移したものらしい。達筆すぎてかろうじて
判別できる程度だが、確かに氏名、住所等が記されている。
 ……私の名前に、住所。

 紙の一枚は、この絵画の鑑定書の写しだった。
 年代は、ほぼ百年前。裏に書かれた文字の染料も、同時期のものだそうだ。

 鑑定書など、偽造できる。絵だって、古く見せることも出来る。

「在りえないもの」

 百年前……それを信じるなら、何故?
 同姓同名のそっくりさんはまだ信憑性がある。
 だが……その時代には知り得ようもないものが記されていた。

 住所――私の家がある町の市名は、近年に『変更された』のだ。10年前の人だって
知ることはできないのに、何故百年前の人が知ることが出来る?


 これほどまでの疑問を抱きつつも私が来た理由。
 それを確かめなければ、帰れない。


「お客さん、着きましたよ」
「え――あ、はい。どうもありがとうございました。おいくらですか?」

 かけられた声に、慌てて考え事を中断させる。
 メーターを見たら、動いていない。

「いえ、お代はすでに頂いてますから」
「? 誰にですか?」
「神津森家からです」

 すでに根回し――は表現が悪いか――手配は終わっているみたい。

「――ぐっどらっく、お嬢さん」
「はい?」

 荷物をタクシーから降ろした瞬間、声をかけられ、何事かと振り返れば、
すでにタクシーは出発してしまっていた。

「……変なの」

 遠ざかるタクシーを見ながら、ため息をついた。



 身体を反転させ、目の前の森を臨む。

「……うん、森だ」

 屋敷の姿なんて全く見えることもなく、広大な森が目の前に立ちはだかっている。

「昔行った、高級旅館にもこんな感じの森があったなぁ……」

 バス停からは、整地とまでは行かなくとも踏みしだかれた道が、真っ直ぐ森の奥へと
伸びている。きっとこれが、屋敷への道だ。
 意味もなく深呼吸して、身だしなみを整える。

「よし」

 そして一歩、森の道へと踏み出した。
 


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