八、忠誠


「ねえ、ヤシロ」
「……」

 む。
 この間、屋敷に行った後から妙にヤシロが冷たい。
 いや、冷たいというより……へそを曲げていると言った方が正しいのかもしれない。

「ヤーシーロー」
「…………」

 約束をすっぽかされた子どもみたいな。
 まあ、それは私の希望的観測であって、怒る・無関心・単に耳が遠くなった
とかの可能性もあるわけだけど。というか高いわけだけども。

 私は半分訴えるようにため息をつきつつ、縁側に腰かけているヤシロの隣に移動した。
 ヤシロは何やら白い細紐を結ってはほどき、また結ってはほどき、を繰り返している。
かれこれ数日間、ずっと同じ。
 まさかボケちゃったんじゃ……と失礼な考えを抱きつつ、じっと観察していても、
ヤシロからの反応は一切ない。
 紺色の羽織をかけた広めの背中は、私を拒絶しているようにさえ感じる。
 完全に青年の姿となったヤシロにはまだ慣れていなくて、ただでさえ話しかける時
どきどきしているというのに。

「ヤシロー」
「………………」

 沈黙が長くなっただけで、やはり反応なし。
 何だかなあ……。

 実体化してヤシロの隣で体育座りをしつつ、青く広い空を見上げた。
 
 確かに私が悪いかもしれないよ? ことごとく言われてたことを破ったわけだし。
 でもあそこであの女の子を見捨てることなんてできなかったし、したくなかった。

 ただ、ヤシロは私のことを思って忠告してくれたことは分かってたし、理解してるし、
凄く感謝してる。最後にはいつものように助けてもらっちゃったしさ。

 ……考えれば考えるほど、軽い自己嫌悪に陥ってきた。
 ヤシロに寄りかかってるにもかかわらず、自分の我侭は突き通しちゃったわけじゃん。
 これって寄生? うう。

「ヤシロ……」

 視線すらも向けてくれないヤシロに悲しくなりながら、私は縁側を離れた。



 縁側の逆側にあたる、井戸方面には大きな一本の木がある。
 白い幹をしたこの大木は、森の中でもひときわ高い。某所の杉のように立派では
ないけど、すらりとした細めのからだを空に向かって伸ばしている。

 それがとても神秘的で、いつかその木に触れたいと想い続けてはや……何日?
 まあともかく、この木を見つけてからずっと狙っているんだけど。

「触れたいのに触れられないあなた……ああ、ロミオ」

 とか言ってる訳は、その木が家から五メートルの範囲にないからだ。
 あともう一声、というところで届かない。
 ヤシロが縁側で固定している今は、さらに無理。

 家の外壁にもたれかかるように座って、木を見上げる。

「不思議な木」

 とあるテーマ曲を脳内に流しつつ、ぼけーっと視線を流した。

 頭を占めているのは、同居人(人?)のことだ。
 こんなに話をしていないのは初めてで。いつも無表情かつ無反応でも、視線は
向けてくれたり、何故か雰囲気で聞いてくれてるのが分かったけど、今はそれもない。

 正直、自分でも驚くくらい気持ちが落ち着かない。
 
「だめだ、ダメ駄目。目指せ自立した女でしょ。これくらい何だってのよ!」

 奮い立たせるように言っても効果はなかった。
 何なんだ。私にとってヤシロは何だというのだろう。

 答えは出ないけど、気持ちが落ちてる理由は分かってる。

 ……ヤシロに、本当のことを言ってないからだ。

 リンショウに会ったことも、彼女にしたことも。単純に、変な生き物がいて
驚いた拍子に結界の線を消してしまったとだけ言った。
 無意識についてしまった嘘に気付いたときには、もう後に引けなくて。

「そんな素直じゃないしさ」

 はっきり言ってしまえばいいんだろうけど……。

「それが出来たらこんなことにはなってないっつーの」

 理由は簡単だ。
 
 『コワイ』から。

 子どもがテストで悪い点を取ったのを隠すように、私はヤシロの言葉を守らなかった
ことを隠しておきたいんだ。
 怒られるというよりも、目の前で相手が落胆する顔を見たくないから。
 のび太ん、君の気持ちがとても分かるよ!

 憂鬱な気分で白い木を見上げていたら、何かが横切った。

「?」

 こういうときに、良い予感がしないのは何故だろう。

 それでもじっと目を凝らすと、なんか白いもやもやが流れていった。言うなら
白い毛玉の塊。
 そのまま森の奥へ消えていくのを見送る。

「何なんだったんだろう、あれ」

 わたあめが風に飛ばされているようだったけど……。

 小首を傾げつつ、考え事をしてるうちに日も落ちてきたしそろそろ戻ろうかと
振り返った瞬間。

「きょわあああ!!!?」










「ヤシロヤシロやしろぉおー!!」

 悲鳴を上げつつ、家の周りを駆け周りながらヤシロのいる縁側を目指す。

「助けてヤシロー!!!」

 絶叫に近いほど声量を上げながら、庭に出ると、一目散にヤシロめがけて駆け抜ける。

「…………?」

 揺れる視界に映ったヤシロは疑問符を浮かべているかのように不思議がっていた。
 私はそれに構うことなくそのままヤシロに激突した。

「シラネ?」

 意外にも……というのは失礼かもしれないけど、ヤシロは難なく全身でぶつかってきた
障害物(私)を受け止めた。
 ヤシロにしがみつく手に伝わる硬い感触に、少々まごつきながらも、そそくさと私は
ヤシロの後ろにまわり、羽織の陰から少しだけ顔を出して庭に目を向けた。

「シラネ」

 ヤシロは私に声をかけてくれるけど、今はそれどころじゃない。
 怯えながら庭の隅から隅まで目を光らせていると、やはり居た。

「ヤシロ、何あれ? アレ何!」

 再びヤシロの背に隠れつつ、声だけで伝える。

「アレ?」

 ヤシロが疑問に思う声が聞こえてくる。背中が声にあわせて振動する。
 その動きにほっとするのを感じながら、勇気を出して顔を出す。

「……あれ、いない……」

 私が見た『アレ』は、庭先から姿を消していた。

「何だ……着いてきてなかったんだ。よかったぁ……」

 抑えていた息を一気に吐き出して、へろへろとヤシロの背中に寄りかかった。
 一気に時間が戻ってきたような感覚を覚える。
 身体が走った熱で熱くなり、酸素を取り込もうと息が荒くなる。

「シラネ……何かあった……?」

 ヤシロの声が再び聞こえる。
 ああ、そういえば私、焦っていたとはいえ何しちゃったんだろう。
 別の意味で身体が熱くなりつつも、慌ててじりじりと羽織の陰から這い出ていく。

「あ、あのね、ちょっと変なモノが――」


 そう言った私の左手のすぐ傍に、『ソレ』が見えた。

「ぎゃあああああ!!!」

 大声を上げて、瞬時に再びヤシロの羽織の中に避難する。羽織の中を移動し、
反対側でヤシロの腕に掴まった。

「シラネ、何?」

 私の混乱など全く分からないかのように、ヤシロが話しかけてくる。

「な、何ってヤシロ、そこにいるでしょ!?」

 もっと隠れられないかと、ヤシロの腕の下に頭を入れようと試みたが、あっさりと
避けられた。ああ、隠れ蓑が!
 ヤシロは持ち上げた腕を後方に回すと、私の頭をごく軽く、二度叩いた。

「大丈夫?」

 その表情に何とも言えなくなって、首を左右に振った。

「平気じゃない。あれ、何!?」

 震えつつ、ヤシロを挟んで反対側にいる『ソレ』を指差した。

 ぼやっとした輪郭の定まらない白い『陰』の中に、妖しい一対の紅い光。
 それが、木の傍で見たときからずっと私に着いてきた。

 私はこの世界のひとたちの様に、異形のものに対して寛容になれない。
 『分からないもの』というのは怖い。

「……アレ?」
「だから、それ……! 白い『陰』!!」

 自分でも指が震えているのを分かりながら、それでも小さく指差した。

 が。

「何も見えないけど」
「え?」

 いたってマジメ(多分)な表情で、ヤシロは言った。
 確かにヤシロが嘘をつくとは思えないし、言ってないと思う。でも。

「だって、現に今ここにいるじゃない!」
「…………………………何処に?」

 指さす先で、確かにそれは揺らめいているのに。

「だから、此処――」

 言っている途中で、指した私の指に、何かがまとわりついた。
 全身の毛が逆立つように鳥肌が立ち、肌があわ立つ。

 右手の先が、白い『陰』の中に消えていた。

「う、うぎゃーー!!!」

 横に居るヤシロの存在をさっぱり忘れて、『陰』を振り払うように全身で暴れる。
 何も考えられず、ただ無我夢中で暴れまくった。
(ひょっとしたらヤシロを殴ったかもしれない)

「シラネ」
「〜〜〜!!!!」

 声にならない悲鳴を上げていたら、後ろから押さえ込まれた。

 押さえ込まれた拍子で、手元から白い何かが庭に放射線状に飛んでいった。
 それを見て、ようやく少し落ち着いた。

「シラネ」

 聞きなれた声よりも低い、ヤシロの声が、少しずつ胸に浸透する。
 何度か声をかけられた後、大きく息をついて、動きを止める。
 右手を抱え込むように引き寄せたら、ヤシロが自然に手を包んだ。

「……ごめん、ヤシロ」

 恐慌状態から落ち着いて、やっとヤシロにお礼をいわなきゃと思い当たる。

「いや」

 私の謝罪はすぐに否定され、ありがとうと言おうと口を開いたら。


「――見えた」


 ヤシロはじっと庭の一点を見つめたまま、言葉を続けた。

「依狛だ……」

 ヤシロが見つめる先――つまりは『陰』がいるのだろうと思い、びくびくしながら
半目で庭先を見る。

「より、こま?」

 ぼやっと見えてきた白い『陰』は、私の予想を裏切り、『陰』ではなくなっていた。
 何度も瞬きをしたから見間違いじゃない。


「かわいい……」

 恐らく白い『陰』だったと思えるものは、三十センチくらいの白い子犬になっていた。
 後ろ足で耳の後ろを掻き、かと思えば手足をぺろぺろと舐めている。ころころと
動きを変える姿は、全く怖くない……どころかとても愛らしい。

「ど、どうなってんの?」

 思わず出た私の声に反応してか、子犬(仮)は耳をぴくっとこちらに向けると、
舌を出しながらこちらに駆け寄ってくる。
 さすがに先ほどまでの恐怖心から逃げたくなったけど、今だヤシロに掴まったまま
だし、ヤシロは警戒していない。

 やがて縁側のすぐ下まで来た子犬(仮)は、そこで待てをするようにしゃがみこんで
こちらを見つめている。
 見た目は真っ白な柴犬……を、獅子のように少しワイルド、野性っぽく毛を伸ばした姿。
 ちっちゃい狛犬の顔を柴犬にしたような感じで、乙女心をわりとくすぐられる。

「……シラネを主にしたらしいね」
「主!?」

 確かに子犬(仮)――依狛は、遊んでと訴える犬を連想させなくもないけど。

「どうやって依狛が主を選んでるかは知らないけど、相手が死なない限り依狛は唯一人を
主として、時を待つ」
「い、いやいやそんな急に言われても――!?」

 一人で興奮していると、我慢切れなのか、依狛が私の足に飛び乗ってきて、そのまま
こてっと横に倒れた。

「このコはこのコで……」

 何だか一人で焦っているのが馬鹿らしくなってきた。

「……依狛は、まだ『心』を持っていない」
「え?」

 突然ヤシロが言い出したことに反応して、ヤシロを見る。
 思いのほかすぐ傍に顔があり、思わずぱっと離れようとしてしまった。

「その名が示すとおり依狛は、『依り代』になる生き物なんだ」

 こちらの困惑など露知らずといった様子で、ヤシロは続ける。

「身近な強い『思念』に従って行動する、人形のようなもの」
「人形って……ちゃんと普通に犬っぽく生きてるじゃない」

 ヤシロの言葉に少し悲しくなって、怖がっていたのも忘れ反論する。

「それは多分、『犬』という情報に基づいて動いてるから」
「情報に基づくって……」

 ロボット犬のように、プログラミングされた『犬の行動パターン』に沿って
動いてるだけってこと?

「生まれたばかりの依狛は『心』を持たず、何かに操られて生き延びる。そして
操られていく過程や主の影響で『心』を学び、やがて自我を持った『成体』に
なるんだ……『成体』になって初めて、自立した一個体になる」
「……」

 その説明に、何も言えずに依狛を見下ろした。
 『心』を持たない存在……それは悲しいと言ってよいのだろうか?


 煩悶としていたら、突然ヤシロの腕が離れた。

「シラネの好きにすればいい。選ばれたのも、選ぶのもシラネだから」
「……うん」

 一見冷たいとも取れるヤシロの言葉だけど、そこには、私の意思を尊重してくれる
心がある。

 ……いつもの、ヤシロだ。

「ありがとう、ヤシロ」

 沢山の意味を込めて、お礼を言った。
 それなのに、屋敷でのことを言えなくて、ごめん。
 ヤシロが優しいからこそ、その優しさが途切れることがコワイ。

 依狛が主に依存するのと同じくらいの盲目さで、私はヤシロに依存してるのかも
しれない。

「ん……シラネ、手」
「?」

 ヤシロの方に向きを変え、素直に腕を出す。
 するとヤシロは何やら編んである白くて細い紐を、私の腕に結んだ。
 これ、最近ヤシロがずっといじってたヤツだ。

「お守り」
「え」
「シラネは厄介事に巻き込まれやすい様だから、念のため。状況にもよるけど、
その結び目が全部解けないうちは、シラネを守ってくれるはず」
「ヤシロ……」

 紐には所々、花の様な形をした結び目がある。腕に二巻きしてるから……十くらい?

「作り方を忘れてたから思い出すのに必死で、シラネの話聞いてなかったかも
しれない。そうだったらごめん」
「え、い、いいよ謝んないで! だってそれ、は……」

 目頭が熱くなるとはこういうことだろうか。
 私が自分勝手に『ヤシロはすねてるんだ』と考えてる間も、ヤシロは私のために
動いてくれてたというのに。

 自分の矮小さと、ヤシロの気遣いが、心に痛い。
 言葉に出来なくて、ただ首をずっと左右に振っていた。

「うん」

 ヤシロの声が頭上から降ってきて、動きを止めるように手が頭に置かれる。

「――疲れたから、寝る。おやすみシラネ」

 あやすように、軽く叩かれる。

「お、やすみ、ヤシロ」

 布団に倒れこんですぐに眠りに落ちたヤシロを見て、自分に巻かれた紐を見る。
 一つの作品のように細かく編まれた紐は、不思議なほど気持ちを落ち着かせてくれる。


「――ありがとう」

 それしか言えなくて、私は膝の上の依狛を腕に抱いて、縁側に横になった。








……今回はマジメ。


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