七、決別



「シラネ」

 眠い。眠すぎる。

「シラネ」

 接続を切った脳みそに、ずかずかと声が入ってくる。眠いんだから放っておいてよ。

「……じゃあ、強制連行で」
「強制連行!?」

 不吉な言葉にがばっと体を起こすと、目の前にはヤシロが縄状の物体を持って、
しゃがんでいた。
 ……縄じゃない……これって……。

「数珠?」

 もの凄く長いけど、ヤシロの手の中のものは数珠っぽい。透明な玉が沢山、紫の紐
に通って輪をかたどっている。

「おはよう、シラネ」

 まだ見慣れぬ二十代前半のヤシロが、こちらを覗いている。

「ヤシロ、何それ」
「………………………………………………………………秘密」
「沈黙が長いよ」

 少し長めの前髪からのぞく弓形の眉は、普段よりも位置が高い。
 ……コヤツ、作り笑いしてやがる。

「それはそうと、出かけるから」

 素早く数珠もどきを庭に放り投げ、ヤシロは手を差し伸べてくる。
 ぼちゃん、と水瓶か水溜まりあたりに物が落ちた事実は抹消するらしい。
 あ、冷や汗。

「いいけど、何処に? もうアウトドアライフは嫌なんだけど」

 池とか鳥居とか池とか鳥居とか池とか鳥居とか池とか鳥居とか!!

「今日は違う。お宅訪問」
「はい?」



 *  *  *



「でか〜…………」

 眼前にそびえたつのは、大豪邸、大屋敷、化け物屋敷。呼び方はどれでも良し。
 小さな公園と同じくらいの日本家屋がでーんと目の前に建っている。枯れかけた
柳が沢山植えられ、松の木は奇妙な形に折れて成長し、外壁は限りなくこげ茶。
 今にも妖怪が出てきそうな……あ、この世界の住民は皆妖怪系だった……。

「ねえヤシロ、ココ、何?」
「屋敷」

 おい、そりゃ分かってるよ。

「そうじゃなくて、『何で』ここに来たの?」

 ヤシロはインドア派だ。ひきこもりだ。冬眠系生物だ。意味もなく出歩くわけがない。

「……正しくは集会所。――会合があるんだ」
「会合?」

 いつも通り、ぼけっとした表情で屋敷を見上げるヤシロの表情は、明らかに『面倒だ』
と告げている。

「面倒だな……」

 ぼそりと。
 やっぱりか。

 それでも行かなくてはならないのか、軽くため息をつきながら屋敷の門へと足を進める。
 私も、何か出てくるんじゃないかと怯えながら、ヤシロにくっついて続いた。
 



「うわぁ……いかにも怪しい雰囲気……」

 門は不用心にも全開していて、こちらから屋敷の中が目に入る。
 庭しか見えないが、見るからに荒れている。
 間違いなくお化け屋敷だ。一人だったら逃げてます。

「行くよ」
「え……ちょ、ちょっと待ってよヤシロ〜」

 置いて行かれそうになって、慌ててヤシロの後を追い、門の敷居を跨いだ。
 
 バチッ!!

「いたっ!!」

 もはや慣れたと言ってもいいくらいお馴染みの、電流が走る感覚。
 敷居を跨ごうとした瞬間、先に出ていた腕に痛みが生じた。

「な、何なになに?」

 訳も分からず、すでに門をくぐっていたヤシロを見ると、ため息をついて呟いた。

「……やっぱりか」
「うおい!!」

 予想してたのかよ! だったら先に言ってよ!

「行ける気もするんだけど……ムリ?」
「ムリ!」

 きょとんと無害そうな顔で、恐ろしいこと言ったよこの鬼。
 さりげなく伸ばされた手を、瞬時に離した。引っ張る気満々だろ。

「そこを何とか」
「ムリだって言ってるでしょ!?」

 門の前でぎゃーぎゃーと(主に私が)言い合っていると。


「何事だ」


 庭の先から、突然人が現れた。

「――……境師でしたか」

 間近で聞こえた声は、思わず背筋を正してしまうほど、心地がよい。
重音でいて、すんなり耳に響く、艶のある声。

 すごい。何だこの声。

 ぞわっと皮膚を粟立つのを感じつつ、視線を向けた。

 現れたのは、背の高い男性だ。
 まっすぐな青銀の髪が縁取る顔つきは整っていて、成熟した大人のもの。
知的な眼鏡が恐ろしく似合っていて、美形に慣れ始めた私にも重量級のパンチ力。
 うわぁ……こんな先生いたら垂涎ものだ。おっと、妄想が。
 
 ただ、その表情は険しい。
 ……神経質そう。

「すでに会合の時間は過ぎています。お急ぎを」

 ヤシロだと分かって言葉遣いを改めた男性は、仕方がない、というように
ため息をつきつつ、体の向きを内部へと翻した。

 と。

「……どなたです」

 初めて私のほうを見て、ヤシロに尋ねる。
 明らかに機嫌が悪い。
 これはヤシロの遅刻のせいなのか、不審人物である私のせいなのか。
 美形に怒られるのは、非常に居心地が悪い。
 個人的には、全責任はヤシロにあると声を大にして言いたい。

「……相棒……? …………新妻?」
「違う!」

 首を傾げつつヤシロがこちらに聞いてくるが、瞬時に否定した。どちらも違う。
 眼鏡の男性はちらりと見ただけで、続ける。

「それが貴方にとって何であろうと、重視すべきは『資格』のみ」

 それ!? 今この人私のこと『それ』って言った!?

「『資格』さえあれば、貴方が何を連れてこようと構いません。今は唯、境師が
会合に必要なだけです。早々にいらしてください」

 それだけ言うと、さっさと身体を翻し、庭に向かって歩き始めた。

「――まあ、此処に入るに値するとは思いませんが」

 という、ありがたくない置き土産を残して。



「初対面の人に向かって何てこと言うわけ!? ヤシロに謝れっての!」

 去っていく後姿に向けて、私はそう叫んだ。
 ヤシロが敷居を跨いでコチラに来、肩の上辺りをぽむぽむと叩く。
 半透明なので手がすり抜けているが、雰囲気的に落ち着かせようと
しているんだろう。けど、逆効果だ。

「ヤシロもあんな事言われて悔しくないの?」

 キッと睨んでみるが、相手はどこゆく風とのほほんと構えている。

「別に」
「ヤシロ!」

 分かった。あれだ。ヤシロが飄々としてるから、逆にムカつくんだ。

「何よあれ。すました顔しちゃってさ!」

 声も顔も身体つきも良かったけど、絶対性格悪いよ!
 加点が明らかに多い気がするが、それでも性格の悪さで結果マイナス。
 他人に気を使えない時点で、私的には『良い男』じゃない。

「……落ち着いて。シラネが馬鹿にされたように感じるのは分かるけど――」
「違くて! あの人の言い方だと、『境師』でさえあれば、『ヤシロ』じゃなくても
いいみたいじゃない。そこがムカつくの!」
「…………」

 確かに最後の一言も腹が立つけどな!

「でも」
「何」

 顔と声に見惚れて損した、心のトキメキを返せこんにゃろ、眼鏡に謝れ!……と
悪態をついていると、こちらが怒っているにも関わらず、ヤシロはむしろ朗らかな顔で
微笑んでいる。
 不機嫌な顔で睨んでも、それは変わらない。

「シラネがそう言ってくれるなら、いい」
「……………………………………………………」

 それを聞いて、一気に脱力した。

「はいはい、分かりました。もう怒りません、悪口言いません」

 両手を上に挙げて告げる。
 本人が気にしてないのに腹を立てていても仕方ない……。
 しかしあやつめ……オボエテヤガレ。

「セイルも色々あったから、ね……」
「?」

 ヤシロはあの眼鏡男が消えた、庭先を見つめて呟く。
 セイルというのは彼の名前?

「いいよ、もう。もやもやストップ! 時は金なり、これからどうすんの」

 もやっとした気分を晴らそうと、努めて明るく言い放つ。
 ヤシロは手を顎に当てて思案中だ。
 そこでふと、『セイル』が言っていたことを思い出す。

「ねえ、『資格』って何?」

 考えがまとまらないのか、空を見上げたりうつむいたり落ち着かないまま、
答えが返ってきた。

「この屋敷は、認証のある者しか入れない。俺と、各鳥居守りの代表二人で、
計九人」
「……それじゃあ、絶対に私は入れないじゃん」
「俺と同化してるから大丈夫かなと思って」
「大丈夫なわけないじゃない……」

 認証を受けた覚えなんて全くない。
 そんな『入れたら儲けもん』的な考えで痛い思いさせられたんかい。

「此処の結界は認証を受けた者の魂で判別するから、一部でも同化してるシラネは
いけると思ったんだけど……」
「いや、それムリ」

 暗証番号の一部が合ってても鍵が開くわけない。
 でも、問題はそこじゃなくて。

「私は中に入れない。でもヤシロは入らなきゃいけない。……どうしよ」
「諦め――」
「却下」
「…………」

 ヤシロが暗にサボろうとしているのを察知し、釘を刺す。仕事はサボっちゃいけません。
 あからさまにヤシロが肩を落とした。
 この人、今までちゃんと会合出てたんだろうか。

「あ、分かった。会合のある部屋と外壁って近い?」
「…………やだ」
「ヤシロ」

 何も言ってないのに、こちらの言いたいことを先回りして断られた。

「こんな所でシラネを一人になんてできない」
「……」

 会合のある部屋の端にヤシロ。そこに一番近い外壁に私。そうすれば直線距離では
五メートル程度という制限に引っかからないかもしれない。
 何より、ヤシロが会合に出られる。
 ……拒否されたけど。

「でも出ないといけないんでしょ? だったらこれしかないじゃない」
「嫌」
「ヤーシーロー」

 まだ渋るヤシロに、わざわざ実体化して背伸びし、額をはじく。

「シラネ」

 無表情で額を押さえるヤシロに言い募る。

「嫌じゃないの! 仕事でしょ? 頼りにされてるんでしょ? ちゃんと
出席してこなきゃダメだよ」
「……シラネが」
「私は大丈夫だから。半透明だし……此処が危険な場所なら考えるけど」

 最後は少し弱気になったけど、こんな理由で休まれても困る。

「……分かった。こっち」

 ため息つきでぼそりと呟くと、ヤシロは門を通り過ぎて、外壁沿いに歩き出した。
 置いていかれないようにと、その後に続く。

「ありがと、ヤシロ」

 ヤシロが私のことを気遣ってくれたのは確か。慌てて横に並びつつ、感謝する。

「いいよ。……シラネならそう言うと思ってたから黙ってたんだけど」
「確信犯ですか」

 それでも、ヤシロがサボろうとしていたのは、自分のためではなく私が原因だと
分かって、正直見直してしまった。ごめん。

「そこがシラネの美点でもあるけど……問題点」
「多分褒めてるつもりなんだろうけど、言い方が悪いよヤシロ……」

 脱力感に襲われつつ歩いていると、丁度門とは正反対の場所でヤシロが足を止めた。

「此処」

 特に何があるわけでもない。
 茶色の外壁が遠くまで続き、周りに目をやれば何処まで広がるのか分からない森。
 外壁近くの地面だけは土がむき出して道になっており、壁が終わっても続いている。
ただ遠くになると視界が霧に覆われていて、遠景ははっきりしない。
 ……ちょっと不気味。

「えっと、じゃあ此処にいればいいんだよね」
「……一応」
「一応!?」

 不安になるようなこと言わないでよ!
 そう思ってヤシロを見ると、足元にチョークのような白い棒で円を描いている。
直径にしておよそ三メートルほど。

「念のため結界を張っておいた。ここから出ないで。あと線を消さないように」
「な、なんか色々引っかかるけど、了解」

 念のためが必要な何か、起きるの? うぅ、怖くなってきた。

「ありがとヤシロ」
「いい。どうせシラネに敵わないことは分かってたし」

 そんな尻に引かれてる旦那みたいな発言しなくとも。

「何かあったら心の中で強く呼べば聞こえるから。多分」
「多分てそんな曖昧な」
「じゃあ、必ず」
「急に変えられても信じられません」
「………………なら、好きなほうで」

 最後は投げやりかよ!
 立ち上がって手をはたくヤシロを見ながら、少し不安に襲われた。

「できるだけ早く終わらせて戻ってくるから。……ありがとうシラネ」
「――ううん。行ってらっしゃい」
「ん」

 そう言うと、ヤシロは高い外壁を一足飛びに跳び越えて、姿を消した。



 静かな空間に一人、私だけが残った。

「言えなかったけど、結構コワイ」

 思えば、ヤシロの姿が完全に見えなくなるのは初めてだ。
 いつも何だかんだ言ってヤシロが傍にいてくれた。姿は見えない場合も、
何処かで繋がっているという感覚はあった。
 それが今はない。

「これが、屋敷の結界の効果?」

 ヤシロの存在を感じない。
 ……それが、こんなに不安を誘うものだとは思わなかった。

「…………こんなに頼り切ってたのかな」

 結界の中に腰を下ろして、空を見上げる。いい天気。

「自分ではちゃんとしてたつもりだったんだけどなぁ」

 こんな異世界でも、自分で立てているつもりだった。意外に自分も
落ち着いているもんだと思っていたけど、違ったのかもしれない。
 ヤシロ効果、恐るべし。

 そんなことを考えているうちに、私はうつらうつらと頭がゆれ、やがて
地面に横になりつつ、意識が途絶えた。










『今頃何処に――』
『どうして急にいなくなったりした……』

 懐かしい声が頭に響く。

『あの子が無事でさえいてくれたら――』

 嗚咽に混じって、祈るような声が聞こえる。

(ここは……?)

 暗闇の中に、穴がある。
 穴の中には見慣れた光景が広がっていた。

(ウチだ)

 家族。実家。
 家族が、誰かのために泣いている。

『――の安否だけでも分かったら――』

 私だ。
 家族が、私の安否を心配して、悲しんでる。

 心臓が縮まる感覚が走る。
 家族。
 どうして忘れてたんだろう。
 不思議なくらい地界を、自分が居るべき世界を思い出さなかった。
 家族がこんなに心配してるなんて、考えもしなかった。

『お願いです。あの子を返してく――』

 消えゆく声と共に、急激に闇が遠ざかった。











「お姉ちゃん、大丈夫?」
「え…………」

 目を開けると、結界の前に少女が座っていた。

「うわぁ!」
「ひゃあ!!」

 驚いて思わず後ずさると、私の声に驚いたのか、少女まで後ろに下がった。
 お互い、数秒見つめあう。

 肩の辺りで髪を切りそろえた少女は、あどけなさの残る十二、三だろうか。
 表情は多彩で、今は大きく目を見開いてこちらを見ている。可愛らしい。
 ただ――。

「……幽霊?」

 彼女は透けていた。
 ヘアバンドのように結ばれたリボンも、浴衣も、幼い顔も全て、白く透けている。

「お姉ちゃんもでしょ?」
「………………………………微妙」
「微妙?」

 私の返答でフリーズが溶けたのか、少女がふわっと微笑んだ。
 華開くとはこのことか、と思わせるような温かい微笑だ。

「変なの。微妙って可笑しいよ」
「事実なんだから仕方ないでしょ……」

 不思議とこの子が怖くないのは、半透け仲間だからだろうか。

「どうしてお姉ちゃんは此処にいるの?」
「人を待ってるんだ」

 結界でこちらへは来れないのか、線の前で小首をかしげる姿は愛らしい。

「人? ……もしかして、この屋敷の中?」
「そう。ひょっとして屋敷のこと詳しいの?」

 微笑を消して屋敷を見つめる彼女に、尋ねた。

「ちょっとは知ってる。……そっか、お姉ちゃん関係者なんだ」
「?」

 屋敷を見つめる彼女の表情は何とも表現しがたい。
 でもこれは…………哀しみ?

「ね、待ってる人が来るまでお話していい?」

 少女の申し出は願ったり叶ったりだ。明るいとはいえ、一人は怖い。

「勿論。そうだ、私の名前は――」
「あ、だめ」
「??」

 名前を言おうとしたら、少女に振りつきで止められた。

「霊は外部の力を受けやすいの。名前を付けられるとその人と繋がりができちゃう」
「繋がり……」

 私とヤシロみたいに? でも、同化しちゃってから名前を付けられたわけだから
……んん? 分からなくなってきた。

「お姉ちゃんは、人間でしょ? ちょっと一部混ざってるけど」
「!? 分かるの?」

 こそっと話した彼女に驚嘆の叫びが漏れる。

「他の人と匂いが違うから。人間だったら、なおさらダメだよ」

 うんうん、と彼女は腕を組みつつ頷く。

「なんで?」
「『繋がり』は、その人をこの世界に縛っちゃう重りだから。お姉ちゃんの場合、
名付けた相手が浄化しないと、多分元の世界に戻れなくなっちゃうよ」
「うげ」

 それは困る。ただでさえヤシロと繋がって不便してるのに、その上さらにだなんて。

「でも、名前を呼ぶだけならいいんじゃあ――」
「不十分だけど、最初に他人に呼ばれた名前に決まっちゃうの」
「う」

 名前も呼べないだなんて。
 折角お互い半透明の、同性の(本物!)話し相手が出来たのに。

「何か不便。霊は名前も呼び合えないの?」

 不満を込めて尋ねると、少女は寂しそうに微笑んだ。

「うん……でも、霊はほとんどいないから」
「え?」

 もたらされた言葉を頭の中で反芻する。ほとんどいない?

「普通は死んだらたもうりの池にいって、その後天へ昇っていくの」

 私にとっては軽くトラウマの池が思い出される。ああ、でもあの儀式は印象深い。

「一部の魂はしばらくこの世界に留まったりするけど、それは短期間だし光の球みたいな
姿だし、最終的には必ず池に行くから霊にはならないのよ」
「? じゃあ、どうして霊はいるの?」

 素朴な疑問が浮かんでくる。ならば何故、霊は生まれる?

「色んな条件が重なって『生み出される』んだよ」
「生み出される?」

 少女から再び、表情が消える。

「ちょっと意味は違うんだけど、『白カサギ』では自発的に霊は生まれないの。
外発的な力があって、初めて生まれる……未浄化の魂」
「外因が、ある……」

 それでは、この子も誰かの力で霊になったということだろうか?

「ま、でもなっちゃったものは仕方ないもんね!」

 急に顔を上げてにかっと笑った。

「誰からも見えないから、話し相手がいなくて暇だったんだ〜。
お姉ちゃん、相手してくれる?」

 そんな目を輝かされたら、否定はできない。というかどんと来い。

「――うん。喜んで」
「わぁい! ありがとう!!」

 手を叩きながら素直に喜ぶ彼女には、不思議と警戒心が起きなかった。





 その後どのくらい話していたかは分からない。

「――でね、そいつってばこう言うわけよ。『凶器はお野菜!?』」
「えー、うそ! それでそれで?」

 色々なくだらない話で盛り上がっている中、視界でふと何かが動いた。

「今の……」
「あ、未魂だ」
「みたま?」

 ふよふよと、白い発光体が空中を進んでいる。デジカメ持ってたらUFO写真として
どっかに応募できたかもしれないのに。

「未だ昇らざる魂、未魂。さっき話した『しばらく留まってる魂』なの」

 少女は見慣れているのか、さらりと答えた。

「しばらくすると自動的に池に送られるし、無害だから気にしなくて平気よ」
「ふ〜ん……じゃあいいか」
「続きは? 続き!」

 わくわくと目を輝かせて聞いてくる彼女に気をよくし、再び話をしようと口を開く。

「実はその場には――あれ?」

 ふよんと動いていた未魂が突如消えた。
 消えた辺りに目を凝らしていたら、少女が私の視線を辿って後ろを振り返る。

「どうしたの?」

 何かが未魂の居た場所に浮いている。
 じっと見つめると、黄色い球体が同じくふわふわと揺れていた。

「いや、アレ何かなぁと思って」

 指差した先では、球体が相変わらず浮かんでる。
 少女は私の指の先を確認するや否や、叫んだ。

「喰月!!」
「しょく、げつ……って何?」

 目を見開いて、両手を口に当てて身を引くように外壁に近づいた。

「魂を食べる生き物……どうしよう……っ」

 おろおろと少女が怯えながら辺りを動き始めた。いや、それよりも。

「魂を食べる!?」
「アイツは未魂も霊も喰らうの。食べられたら最後……消滅よ」
「うそ!?」

 その喰月はまだもそもそとその場に留まっている。

「……どうして……此処はアイツが出てこれるような場所じゃない……!」
「考えてたって仕方がないよ! 逃げなきゃ!」

 動き出した私に少女が首を振る。

「お姉ちゃんは大丈夫。その結界は、アイツごときじゃ破れないもん」
「じゃあ貴女も――」

 再び首を振る。

「その結界はお姉ちゃんをだけ強く守ってる。誰も入れない」
「だ、だったら早く逃げて! 気付かれないうちに!!」

 少女は泣きそうに顔をゆがめて、大きく首を振った。

「逃げられない……っ」
「どうして!?」

 逃げて欲しくて、彼女に向けて叫ぶ。

「私、此処から動けない……っ この場所に繋がって、縛られてるから逃げられない……!」

 がくがくと震えながら、彼女はその場に佇んでいる。
 このまま、彼女が犠牲になるのを見てろってこと!?
 さっきまで一緒に笑って、話してた小さな女の子を?

「やだ……消えたく、ない……っ!」

 搾り出すように声が漏れる。
 喰月の揺れが、どんどん小さくなっていく。

 どうすればいい? どうすれば助けられる!?

 その間にも喰月は動きを減らし、ほとんど動きがなくなった。
 何故か、動きが完全に止まったら、終わりだという予感がある。時間が、ない。

「ヤシロー!!」

 声に出し、心の中でも力の限りで彼を呼ぶ。
 私には助けられない。でも、ヤシロなら。
 繋がりを意識して、強く願う。

「お姉ちゃん……やだよぉ……」

 横で、か細い声が聞こえる。
 来ない。ヤシロが、まだ来ない……!
 喰月は、僅かに動くだけになっている。

「どうしてヤシロに伝わらないの!?」

 思ったとき、ふと記憶が蘇った。


『名前を呼ばれたら繋がりができちゃう――』
『この場所に繋がって――』


 もしかして。

「ねえ!」
「お、お姉ちゃん……」

 外壁ぎりぎりまで退いていた少女が、こちらを見る。

「名前教えて!」
「え……?」
「名前!」

 少女は混乱しているのか、訳が分からない様子で黙っている。

「この場所に縛られてる『繋がり』を、ひょっとしたら切れるかもしれない!」
「ぁ……」

 私が名を呼ぶことで、この場所に縛り付けている彼女の『繋がり』を奪えはしないだろうか。
ダブルブッキングみたいだけど、ひょっとしたら勝てるかもしれない。

「でも、そんなことしたらお姉ちゃんが――」

 この世界に縛られる。
 先ほど見た不思議な夢がフラッシュバックする。
 
 家族の私を心配する声。安否を気遣う祈り。
 帰りたい。安心してもらいたい!
 

 ……でも。


「――子どもはそんなこと気にしないの! いいから名前!」

 ここで見捨てる?
 ……そんな選択は、ない。したくない。

「――『リンショウ』……!」

 少女が小さくとも、精一杯声を上げる。

「どうすればいいの!?」

 時間がない。
 視界の端で、喰月の動きが止まったのが分かる。

「手で触れて、私を呼んで……っ」

 触れる!?
 一瞬、ヤシロの『結界から出るな』という言葉が響いた。
 それでも次の瞬間、私は実体化させた足で、線をかき消した。

 ふっと、周りを囲っていた温かい空気が消える。

 喰月が、ゆっくりとこちらに向きを変えるのが分かる。
 今は、私だってターゲットだ。

 急いで彼女に手を伸ばし、すり抜けつつも声を張り上げる。

「『リンショウ』!」

 彼女の身体に淡い光がともる。
 喰月がさらにこちらへ向きを変えている。

「最後にお姉ちゃんの名前で宣言して……っ」

 名前。
 ぴくっと迷った。
 どちらが私の本当の名前?

 だけど。

『名は明かさない方がいい』

 ヤシロの声が蘇る。一つ約束を破ったから。
 せめてこれだけでも守りたい。

「『シラネ』の名の元に!」


 少女――リンショウの全身に光が宿ったと思った瞬間、強い力で身体を押された。


 グワシャアアァッ!!


 けたたましい音と共に、私たちがさっきまで居た場所と、その後ろの外壁が
原型を留めることなく削れている。

「な、な……」
「お姉ちゃんこっち!」

 リンショウは私の手を取り、今度は身体を強く彼女の方へ引き寄せた。

 ビュワッ! と風を切る音を立てて、大きな球体が真横を駆け抜けた。怖っ!!

 さらに再び彼女は手を取り、先ほど喰月が壊した壁へと向かっている。
 引っ張られながら、喰月がこちらに照準を定めたのが目に入った。

「ヤバ――」

 言おうとした瞬間、喰月はこちらを貫くように突進してきて……
 私たちは横の外壁へ突っ込んだ。

「私は中に入れ――」

 ない!! そう言おうとしたときに、何かを通るような感覚が走った。
 同時に、球体が恐ろしい速さで通り過ぎる。

 私は屋敷の敷地に倒れこみ、リンショウがいない。

「リンショウ……?」

 何故入れたのか、そんなことより彼女を探そうと周りを見やるが、存在すら感じない。

 カタリ……

 後ろで、小石が動く音が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこには喰月が浮かんでいた。
 球体だと思っていた身体は、大きな口、穏やかな顔だった。

 嘘、なんで入ってこれる――?

 疑問が浮かんだときには、喰月の口が大きく切り開かれていた。
 死、その気配がする。

 や……


「ヤシローー!!!」


 声の限りで、無意識にヤシロの名を呼んでいた。
 目をつぶって身体を丸め、衝撃に耐える。



 でも、痛みはやってこなかった。


 そっと見開いた目に映るのは、薄い水色の着物だ。これは。

「大丈夫、シラネ」
「ヤシロ……」

 刀を抜いたヤシロが、上から私に声をかけた。
 刀を流麗な動きでしまうと、しゃがみこんでこちらを覗きこむ。
 ああ、無表情なヤシロの表情に、ひどく落ち着いた。

「……平気?」
「や、ヤシロ〜……」

 不肖ながら、顔をゆがめてヤシロに飛びついた。

 が。
 
 ぺしょっ

 間抜けな音を立てて地面に激突した。

「シラネ……………………」

 何か言いたそうなヤシロの声は無視し、無言で実体化すると、抱っこちゃん人形の如く
ヤシロの背中にへばりついた。

「…………」

 諦めたように、ヤシロが無言で壊れた外壁の方へ足を進める。

「ヤシロ……会合――」
「終わった。何か言われないうちに帰る」

 少しの怒りをヤシロから感じつつも、彼は何も聞かずに私をおぶったまま歩く。
 外壁を跨いだとき、やはり何の衝撃も受けずに通過し、ヤシロは家へ戻るべく
歩みを続ける。

 リンショウは何処へ行ったんだろう?
 どうして私は結界を通れたんだろう?

 色々な疑問が渦巻きつつも、何故か大丈夫という気がして、私はそのまま
眠りに入った。


 もちろん、次に起きたときに待っていたのは、ヤシロの無言のお怒りと、
事後説明義務だった。

 あ〜……一体私はあそこに何しに行ったんだろう。

「シラネ」

 じっとりとヤシロが睨んでくる。
 ……ここらで逆ギレでもしてみるか。





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