四、転生
「うそお!?」

 ある朝起きて、目覚めの一発とばかりに体を実体化して、顔を洗いに行った。
 なんとこの家、トイレもお風呂も外にあるのだ。
 台所で顔を洗ってもいいのだけど、そこはそれ、気分だ。何となく朝起きて、外の
井戸水で顔を洗うって、癒しな感じ。
 理由は分からないけど、台所の水は一般家庭と同じ、不思議な技術で水が引いて
あるのに、その他は井戸。
 まあ、私はトイレは使わないし、井戸水は飲めないし。お風呂は半露天で文句
ないし。
 で、だ。『問題』はそこに在った。
 井戸で水を汲む。
 顔を洗う。
 あ、今日は満月らしいし、お風呂に入ろう。
 掃除をしに風呂場へ行く。
 風呂蓋をあける。(檜のようないい香り)

「……」

 蓋を閉じる。開ける。

「うそおおおお!?」

 な、なななななな何だこれ!?

「ヤシロ! ヤシローーーーー!!!!」

 私は急いで、自分的には音速を超えるスピードで、ヤシロを叩き起こしに向かった。

「起きろヤシロ!! 寝てるな!! 起きろーーーー!!」

 ガンガンガン、バシッバシッ
 
 ひたすらヤシロを揺すり、頬を叩き、耳元で叫ぶ。

「…………痛い、何、シラネ」
「何じゃない!! アレは何!?」
「アレ?」

「そう! 何で風呂の中に、『私の身体』があるの!?」

 風呂桶の中に在ったのは、ぴくりとも動かない体。というか顔。普通なら死体。
同居人は殺人および死体遺棄に関わっている。
 でも、そこにあったのは、紛れも無く『私』の身体だった。
 私の身体は、得体の知れない黄土色のどろりとした液体の中に浸っていて、首より
下が、全く見えない状態だ。でも身体はあったっぽい。

「……あ」
「あ!?」

 無表情の中にも『しまった』という感情が表れたヤシロに、私は眼をつける。

「ごめん」
「何がゴメン!? 人の身体に何しやがった!」

 口調が大変汚いが、状況が状況だけに無理もないでしょう。

「ちょっと」
「だから何!?」

 のっそりと、しかし焦った様子でヤシロが立ち上がり、なぜか昨日の服のままで
外に向かう。
 寝るときは紺色、起きてる時はそれ以外の和服なのに、何で寝巻き着てなかったん
だろう――って、そんなことどうでもいい。
 そして風呂場で、ヤシロは私の『身体』を見てぼそりと。

「……やりすぎた」
「おい! そのセリフ確か初日にも聞いたんですけど!」

 ヤシロは淡々と、できれば私は触りたくない色の液体の中に腕を入れ、引き上げる。
すぐに、持っていた手ぬぐいの大きいやつで、私の身体を拭いていく。
 唖然とする私の横で、着々と作業は進められ、完璧な私の身体が現れた。
 もちろん、私の身体が完璧なんじゃない。あいにくとね。
 正しくは『完璧な裸状態の私の身体』。

「ちょっと待ったーーー!!」
「?」
「この変態がー!」

 ボフッ

 私の捻りを加えた右腕が、ヤシロの腹に消える。
 そしてすぐさま、近くの手ぬぐいで身体を隠す。

「シ、シ――」

 どうやらヤシロは痛さで声もまともに出せないらしい。
 やりすぎたかな? いやしかし。

「なんで私の身体、裸なの! ってか人の裸に何すんだ! 痴漢!!」
「ち、ちが――」
「変態! 強姦魔!!」
「シラ、ネ……」

 ひとしきり言い終わった後、息継ぎの為に叫びを止めたら、ヤシロが無垢そうな
目でこっちを見つめてきた。
 う。

「シラネ……」

 うう。
 はっきり言おう。私はこの目に弱い。
 というか、美人に切なそうな瞳で見つめられて、『許して?』とかいう気持ちを
無言で伝えられたら、誰だって罪悪感が湧き出てくるに違いない。
 少なくとも私には湧いた。
 まあ、よく考えれば、私は何一つヤシロの説明を聞いていない。

「――ごめん。やりすぎた」
「うん本当に」

 もう一回やってやろうか。

「これ、シラネの本体。昨夜見つけたけど、虫はついてるし土は被ってるし、ひどい
有様だったから水で清めて、そのあとコレに漬けた」

 ……ものすごく突っ込みたい部分がありまくったけど、先ほどの非もあるし、私の
身体も約束どおり探してくれたので、一応黙っておく。
 虫とか土とか清めるとか何だって、ホントは聞きたいんだけど……。
 だって、まだヤシロはお腹押さえてるし。
 嫌味とかする奴じゃないから、多分本気でまだ痛いんだろう。

「コレは、生き物の身体を仮死で保つ薬」
「仮死?」
「――今のシラネの身体は、生きてるけど動かない。身体を維持するエネルギーも
確保できないから、放って置くと死ぬ」
「死!?」
「だから、これに漬けて身体の状態を止める。でも、顔だけは最後にしないと、逆に
窒息死」

 ひいい! 何かめちゃくちゃコワイ話なんですけど!

「ホントはこんなに漬けてちゃいけなかった……シラネ、黄土色好き?」
「好きじゃない」
「……」

 そんなあからさまに肩を落とさなくても。

「どうして?」
「……」
「ヤシロ、女性の裸を見たんだから、それなりのもんを払え」
「………………漬けすぎると、色が身体に浸透する」
「はい?」
「だから、元に戻っても薬の色がしばらくは残るかも」
「おいいい!」

 こそっと、かつ素早く、私は自分の『身体』を確認した。
 ……なんか黄土色っぽい。

「嫁入り前の娘の身体が……!」

 ずーん、と気分が重くなる。
 ああ、あんまりだ。黄土色ってあれよ? ヒドイ別名のある、あの色よ? 最悪だ。

「ごめん、シラネ」

 うなだれた頭の上から、ヤシロの心底すまなそうな声が降ってくる。

「身体見つけて、これでシラネとの約束を一つだけど果たせるって思ったら、シラネ
の顔が見たくなって……。部屋に行ったら、シラネは幸せそうな顔で豪快に寝てた
から、起こすの忍びなくて」

 豪快で悪かったわね。むしろ繊細な寝方っていうのを教えてくれ。

「シラネ、喜んでくれるかな、って……そうなったら嬉しいなって、シラネを見て
たら眠くなった」
「……」

 この人、どれだけ自分が恥ずかしいこと言ってるのか分かってるんだろうか?
 いや、分かってないな。恥ずかしいことだと思ってなさそうだ。

「――別にいいよ、もう。黄土色がなんだってのよ。ボディーペインティングって
言って乗り越えてやる。これこそ流行最先端」

 もう半ばヤケクソだ。ああ、黄土色を連想させる言葉を使ってしまった……。

「ありがとう」
「どういたしましてー」
「黄土色のシラネも可愛いと思う、多分」

 ……本気だとしたら、趣味と頭を疑います。

「で、この後どうするの? 正直、死体っぽい自分の身体が傍にあるのって、いい
気分じゃないんだけど」
「たもうりの池に運ぶ」
「げ。ヤダ」

 この間、死にかけたばっかりだというのに、行きたくない。

「その気持ちも、今日行けば多分消える」
「?」
「行こう、シラネ」

 そう言うと、ヤシロはにこりと微笑んだ。
 うううう。
 懇願するような目も苦手だけど、笑顔はもっと苦手だ。
 どうして普段笑わない人の笑顔って、強力なんだろう?
 答えは珍しいから。美形だから。独り占めっぽいから……って、多いなあ。
 ヤシロは、さっと、私の『身体』の顔に泥、じゃない黄土色のブツを塗って、
右腕で持ち上げる。左手は、私の手を掴む。

「ヤシロ! 私が持つよ!」

 ああ、絶対重いよ。ダイエットは真剣にしておくべきだった!

「大丈夫」

 大丈夫って、片手でン十キロの人間、抱えられないって。
 でも、ヤシロはホントに平然と、両手を『私』につないでいる。片方は仮死だし、
もう一方は半透明もどきだけど。
 結局、私は彼にしぶしぶついて行くはめになった。


   *  *  *


 池に着いて、ヤシロは私の手を離した。

「早いうちに終わらせないと」
「そういえば、ヤシロ、何の準備もしてないけど、どうやって私の――」

 どぼんっ

 そのまま投げた。

「ちょっとーー!?」
「これで良し」
「良くない! 良くないよヤシロ!」

 人の身体、何もせずに投げ込んでいいわけないでしょう!?
 私は賽銭じゃないんだから!

「平気。此処は、来る時まであらゆるものを保つ池だから」
「でも…………うう」

 まあ、長い間まさに『保たれよう』とされた身としては、反論できないというか。
 私が一人悶々としてると、私たちが来たのとは反対側が騒がしくなってきた。

「なに?」

 ざわめきはもっと近づいてきて、得体の知れない恐怖から、私はヤシロの後ろの
身を隠した。

「はい、シラネ」
「?」

 びくびくする私にヤシロが渡したのは、白い狐のお面。

「何コレ」
「魔除け」
「魔!?」

 そう返したところに、ざわめきの正体が現れた。
 
「!?」

 現れたのは、大勢の人々。皆一様に、白いお面を被っている。
 お面の形は兎や猿、犬など様々だし、つけている人々も、子連れの親子や老人まで
様々だった。
 ただ、皆、提灯を手にしている。

「な、何?」
「見てごらん」

 一人だけ面をつけてないヤシロが、池の水面を指差す。
 つられてそちらを見ると、水面が僅かに波打っている。
 ヤシロは本当に微かに、口角が上がっているけど、私としては怯えの方が大きい。
 動揺のあまり、実体化が解けそうになる。
 すると、ヤシロがきゅっと、手を握った。
 先ほど、今日はできるだけ実体化しているように言われたんだった。忘れてた。
 慌てて気持ちを落ち着かせて、水面を見る。

「あれ……?」

 どんどん、池の底の方から光が上がってくる。
 それはどんどん数を増し、やがて水面全体が光を放ち始めた。
 キッカケを得たように、集まっていた人々が、不思議な『唄』を歌い始めた。
 厳かで、不思議な儀式のようなその唄が大きくなるにつれて、水面の輝きも増して
いく。

 そこで、唐突にヤシロが唄の紡ぎに加わった。

 そして、光は溢れ出す。

「すごい……!」

 太陽の光に負けないほどの明るさが少し収まり、閉じていた目を開くと、そこには
色とりどりの光の群れが、上へ――空へと昇っていく光景が広がっていた。
 まるで喜び勇むように、光は舞を踊りながら上へと昇る。

 人々の唄は、ますます力強く、美しくなっていく。

 私は呆然と、その唄と光の舞に目を奪われていたのだが、光が昇るにつれ、人々の
提灯から灯りが消えていく。
 最後の提灯が消え、光の昇りがなくなると、人々は次第に唄を止め、ヤシロ一人が
歌い続ける。

 相変わらず、ヤシロの唄は、不思議な力を持っているようだ。
 朗々と歌い上げるその声には、一瞬の揺れすらない。

 唄が終盤に入り、やがて彼の声が静かに消えると、あれほど眩しかった池の水面も
いつもの穏やかなものへと戻った。

 それを見て、人々は池へまず頭を下げ、次にヤシロに頭を下げ、また来た道へと
戻って行った。
 隣のヤシロが大きく息をつく。

「シラネ、もう十分だから、実体化しなくてもいい」
「…………あ、そう?」

 なんだか、とても不思議な空間にいた私は、ヤシロの声に気付くのが遅れた。
 ヤシロが私の面を外す。
 実体化してるのは、常に緊張しているのと同じくらい、疲れるので、お言葉に
甘えて、また半透明に戻ることとする。

「ねえ、さっきの何?」

 でも、一番聞きたいのはそれだ。

「あれは、魂送りの儀」
「たまおくり?」
「『白カサギの界』で亡くなった人々の魂は、儀を行うときまで池が守っている。
そして、満月の出る日の朝に、その魂たちを空に送る儀式を行うんだ」

 ああ、あの光は魂だったんだ……。

「じゃあ、このお面は?」
「この界の守り神は『白カサギ』。神の色である白い面をつけることで、人々の魂が
共に昇らないよう、防いでくれる」
「え」

 いや、それって、めちゃくちゃ危ないんじゃないの?

「だから、儀を行うのは全て遺族たちと決まっていて、無駄に長引かないよう、魂の
目印である火を準備する。火は魂の道しるべとなって、共に昇っていくから、火が
全て消えれば終了。開いていた池を、また元の状態に戻す」
「へえ……」

 危ないけど、遺族にとって、最後に故人に会えるチャンスなんだ……。
 それって、素敵なことなのかもしれない。

「空へ昇った魂は、鬼界をとりまく風となり、時を経て、再び鬼界に生まれてくる」

 以前にコウハに聞いた、この世界の常識――。

「この池は、最後まで人々を守ろうとする『白カサギ』の力なんだ」

 ヤシロが、平常とは違う、誇らしげなような、懐かしむような笑顔を見せて空を
見る。

「――……」

 つい、声がかけられなくて、私も空を見上げた。
 この空を越えたところに、あの、光の人々がいるのだろうか。

「終わったし、行こうか」

 いつもより饒舌なヤシロが、私にそう告げた。

「――うん」

 狐の面を後頭部にかけたヤシロを追いながら、思う。

 ヤシロは、誰を懐かしんでいたのだろうか。





 家に戻り。

「――良かった」
「ん?」
「シラネが途中で実体化を解いてたら、一緒に昇ってたかもしれない」
「はい!?」

 今、何て言った!?
 それってまさしく昇天!?

「危なかった。でもこれでシラネも、もうあそこが怖くない――」
「わけあるかあああ!!」


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