二、異類婚

 私が鬼界に来てから三日が経った。

「ヤシロ! もう昼まわったよ」

 同居人(鬼?)ヤシロは、はっきり言ってやる気のない奴だ。
 起きるのはいつも昼頃で、仕事はおろか、きびきびと動くのを見たことがない。
 初日には青年姿の彼を見かけたが、この三日はもっぱら同じ少年の姿だ。
 まあ、少年といっても十八、九だから、青年なのかもしれないけど、ぼやっとし
てるせいで少年のほうがしっくりくる。

 とにかく、私の仕事はヤシロを起こす事から始まるわけだ。

「ヤーシーロー、毎日昼前には起きるって言ってたでしょ?」

 ヤシロは部屋に敷いた布団に包まって、寝続けている。
 起こそうにも、今だ自由に物には触れられないので、耳元で怒鳴るのが関の山だ。
 でも、ヤシロ曰く、訓練しだいで触れられるようになるとのこと。
 私は人間としての核が強く残ってるから、霊体よりも、半透明な人間に近いのか
もしれないと、ヤシロは続けた。
 で、そのコツは、もの凄く意識すること。

「と言ってもムズイんだよねえ、これがまた」

 意識するっていうのは、感覚だから、コツを掴むまでが大変らしい。

「ヤシロって物知りだけど、この姿見てるとただのコドモだよなあ」

 美少年の昼寝姿というのは、とっても心の栄養剤だと思う。
 まあ、ヤシロの場合はただ寝ぎたないだけだけど。

 鳥たちの話は尽きることなく、風は穏やか、日差しもふんわり。
 確かに眠くなる。

 そうやってつい私もうとうとしていたら。


「ヤーシーロー!!」

「!?」

 な、なに!?
 ものすごい大声が、玄関から聞こえてきた。

 ヤシロの家は、大雑把に言えばL字型。Lの底辺部分に玄関、台所。
 縦部分が、大きな畳の間と、物置部屋。たったコレだけの単純なつくりだ。
 普通の一軒家と同じ大きさなのに、部屋数はたったの三つなんて、贅沢と言うか
ヤシロらしいというか。

 とにかく、誰か来客が来たらしい。
 どう見てもヤシロは起きなさそう。

「あの、ヤシロにご用事ですよね?」
「!!??」

 戸を透けて出て行けば、いたのは十七程の男の子。
 身体を鍛えているのか、割とがっしりしているけど、太いまではいかない。野球
とか、スポーツで鍛えた身体って感じかな。
 あー、甲子園最高。

 私が妄想の海にダイブしていたら、男の子が、口をあんぐり開けてこちらを凝視
していた。
 赤い短髪はツンとあちらこちらに向き、橙の目は今は大きく見開いている。
 うーん、美形とは言わないまでも、将来性を感じさせる顔。きっとさわやかかつ
ちょっとつっぱった系好青年になるだろう。(あれ、それって好青年?)

「!!!」

 人を指差し、口をパクパクさせている。
 いくらなんでも失礼でしょう。私は化け物じゃないっての。

「あのー」
「!!」

 ビクッと反応したあと、口を閉じ、つばを飲み込む様子がはっきり分かる。

「つ、ついに結婚しやがったあの男ーーー!!!」
「違うわ!」

 お互い、顔を見合わせて絶叫した。

「うわー、どうする、皆にふれ回るか? いや、でも」
「違うっての、そこの客。人の話を聞けい」

 かなり変則方向に話が飛びそうだったので、ここは冷静に処理。

「とにかく、お客様はヤシロに用なんですよね!」
「あ、うん。あいつ、いる?」

 意外にも落ち着くのは早い。まあ、奴の知り合いだもんね。

「奥さん」

 落ち着いてねえ!!

「……何の騒ぎ?」
「ヤシロ!」「重い!」
「………………」

 いつの間にかヤシロが私の背後に立ち、あごを人の頭の上にのせている。
 と言っても、透けちゃうから、ただの感覚だ。

「……なんだ、アカか」
「アカじゃねえ! 俺はコウハだ!」
「――アカの方が似合う」
「お前は見たまんまを言ってるだけだろうがああ!!」

 ヤシロに会った瞬間、激怒するお客――コウハ。
 まあ、奴は無神経で我侭でマイペースだ。きっと彼の抗議はかなりの数に上って
るんだろう。だけど間違いなく改善されはしないと思う。

「で、なに」
「人の話を聞け!」
「この似たもの同士が」

 さっき私が言ったセリフをそのままヤシロに返してるじゃん。自分がやられて
嫌なことは他人にやるべからず!

「何用」

 しかし、ヤシロにそんな他人の言など通じない。もう慣れたよちきしょー。

「〜〜〜っ」

 どうやら先方もそんな奴の態度には慣れているらしく、必死に苛立ちを治めよう
としている。ああ、分かるよその気持ち。

「中」

 当のヤシロは彼の努力を待つ気は皆無らしく、さっさと中に入ってしまった。

「とりあえず中に入った方がいいよ」
「………………ああ」

 しぶしぶ、というか疲労感を携えて、コウハはヤシロに続いた。
 ちなみに敬語を止めたのは、彼がヤシロと同類だと認識したためだ。
 マイペースかつ自己中心的。
 さらに勝手に勘違いしたことは彼の中で、キレイさっぱり消えてるだろう。無意識
に周りを傷つけるタイプだ。
 そういうタイプに敬語は不要。でないと割に合わない。
 注意されたら直せばよし。それに年下っぽいし。

「で」

 お茶も何も出さずに、どっしり腰を落ち着けたヤシロに、そんな対応には慣れて
るらしいコウハが正面に座る。
 眠そうな目でコウハを見るヤシロからは、やる気は全く感じられない。というか
絶対聞く気ないよ。

「お前、いつ結婚したんだよ」
「いい加減そのネタから離れてください」

 ぺこっ

 適当に手近にあったお盆を投げたら、コウハに当たった。
 うわ、今私、物にさわれたよ!

「……痛ぇよ」
「あんな間抜けな音で痛いわけない」
「……よく結婚したな、ヤシロ」
「してないっつーの!」
「鬼嫁」
「お前も話にのるな!!」

 もうやだ! 自己中な人間との会話って疲れるよ!

「私はヤシロの居候! 妻ではないし、友人でもない!!」
「……ひどい」

 無表情で言われて信じる人っていないよね!

「……まあ、よく考えれば半透明だしな」
「そこかよ!?」
「あは」
「笑うな!」

 無表情で今度は笑うヤシロ――違う、眠いだけだな、こいつ。

「んー……シラネは俺の背後さん」
「背後さんって――背後霊?」
「似たようなもの」
「お前も変なもん拾うよなー」
「照れる」
「いや、褒めてないし」

「ちょっと……勝手に話を進めないでよ」

 人の意見完全無視で、勝手な解釈と誤解を与えるだなんて!!

「で、今日来たのは用事があってさ」

 あっさりスルー!?

「……また、起きたの」
「ん、今度は西の鳥居」
「――面倒」
「とか言うなって。どうにかできるのなんてお前くらいだし」
「…………じゃあ、行く」

 私の存在を蚊帳の外に、話を終わらせたらしいヤシロは、のっそりと立ち上がって
部屋から出て行ってしまった。
 って、おい何処へ。

「あの、ヤシロはどこに?」
「あ? 準備だろ。境を直すには道具がいるからさ」
「『境』?」

 何だかよく分からん単語に首をかしげると、えーと……あ、コウハは目を大きく
開いて、こっちを見た。わお、目、大きいな。

「お前、『境』を知らねえの? 嘘だろ」
「いや、分からないものは分からん」
「マジかよ……じゃあ『境師』は? ヤシロの仕事は?」
「何も知らない」

 そんなにたたみかけるように言われても、知らない。

「境を知らない奴なんているんだな」

 だって、ここの生物じゃありませんから。

「……終わった」

 そんなとき、微妙なタイミングでヤシロが入ってきた。

「あれ、格好が違う」

 いつもヤシロは、完全な和服の着流しスタイルだ。でも今は、平安風の――あ、
狩衣だ。白地に赤い文様が所々に書かれた狩衣と、濃紺の細身のズボン。そして
腰に日本刀……刀!?

「なんでヤシロ刀なんて持ってるの!?」

 私の常識ど真ん中な質問を尻目に、二人は靴をはいて外へ出て行く。
 また無視かよ。
 とりあえず、あわてて二人の後を追う。

「そういや、ヤシロ、こいつ『境』を知らないとか言ってんだけど」

 コウハは私を親指で示しつつ、並んで歩くヤシロに一言浴びせる。

「………………そういえば、言ってない」

 そうだよ。この世界における私の知識は、全てヤシロに与えられたものだ。
つまり、ヤシロが教えてなかったことは、知りようがない。

「おいおい、嫁の面倒くらいちゃんと見とけよ」
「嫁じゃないっての」
「うっかり」
「ヤシロもかわいい反応しないで」

 真顔でまったく表情を変えずに、言うヤシロはなんだかこっけいだ。
 その歩みはいつもよりずっと早く、私はちゃんと自分の足で歩いていたら、今頃
小走りになってるか、運動不足のせいで呼吸困難に陥っていただろう。
 今は、ヤシロにくっついて存在してるおかげで、歩かなくてもヤシロにつられて
身体が動く。楽。

「あのな、どうせヤシロは説明しないだろうから言っておくけどな」

 そこ、隣で頷かない。

「この辺り――『白カサギの界』は全て『境』と呼ばれる結界で囲まれてる」
「『白カサギ』? 鬼界じゃないの?」
「おいおい、そっから説明すんのかよ。
 まあ、いい。鬼界は、この世界全体の名前。『白カサギの界』はこの地域の名。
ここまでいいか?」

 まあ、混乱するような話でもなかったし、頷く。

「で、さっき言った通り、ここの地域は結界で囲まれてる。理由は単純。他の地域
の奴らは、俺たちを喰らうんだよ」
「うげ!」
「うげって――、何か、結構うまいらしいぞ。そんなワケで、他の地域から人為的に
隔絶してるんだ。それでも、偶に入ってくる奴らがいる。そいつらを退治し、結界を
結びなおすのが、ヤシロ――『境師』だ」

 隣で、黙々と歩くヤシロが目に入る。

「ヤシロ、凄いじゃん」
「そういうことだ。自分の旦那の事くらい把握しとけ」

 もう、ツッコミ心は涸れ果てました。
 そこで二人は足を止めた。

「あれ、ここって――」
「鏡」

 ヤシロの言うとおり、この鏡は、私の世界『地界』と、鬼界をつなぐもの。
 なんでここに?

「これはさ、『境の鏡』っつって、境師が作ったもんだ。作った本人と、その認証
を受けた者なら、これを媒介に結界の何処にでも行ける」
「おおー、どこでも鏡」
「?」

 コウハの分からないネタを言った私を、彼がきょとんと見てきた。歳相応。

「……シラネ」
「ん? なにヤシロ」

 そこで、鏡に手を伸ばしたヤシロが話しかけてきた。

「お前は、残るべき」
「え、やだよ。行く。というか離れられないでしょうに」
「――でも」
「いいじゃん、行くっつってんだから。そんなことより早くやれ!」
「――」

 不承不承といった感で、ヤシロが鏡に手を触れた。
 目を閉じる。ヤシロの口から不思議な音の声が聞こえる。
 ――いや、これは唄だ。
 それと同時に、ヤシロの周りがほんのり明るくなる。

「何……?」

 思わず口に出てた私に、コウハが告げた。

「言っとくけどな、死にたくなければあっちでビビんなよ」
「え――」

 不吉な忠告に、私が質問を返そうとしたら、あの、身体が吸い込まれる感覚に、
何も言えなくなった。




 ぺっ

「よし!」

 前回同様に吐き出されたけど、今度は着地をしくじらない。というか浮いただけ。
 一体どこに出たって言うん――

「!?」

 目の前にあったのは、大きな鳥居。それは元は朱かったものが、何か、内側から
染み入るように黒に変わりつつある姿。
 それだけで恐怖心が湧き出たのに、その鳥居の向こうにあるのは、もっと……、
おぞましかった。

「何、アレ……」

 私の世界にあった社は、そこにはなく、おおきな赤黒い岩が代わりにあった。
 岩の中央には、大きな穴が開いており、そこに、溢れるように異形の者達が蠢いて
いる。顔が三つに足のないモノ、六つ足の獣に猿の顔がついたモノ、普通の人のよう
でも、目も口も空洞なモノ……もっと沢山の生き物が、唸り声をあげて、出ようと
もがいている。その声は、気のせいか歓喜の声に聞こえた。

「あれが、結界の綻びだ。今はまだ薄くなってるだけだから、奴らは入って来れねえ
けど、少しでも穴が開けば、力の小さいものから侵入し、穴は広がり、破れる」

 怖くて、震えそうで。腕で自分の身体を抱きしめた。

「平気だから」

 ヤシロが、そう言って私の肩に手を置いた。
 もちろんそれは透けてしまったけど、なんとなく、暖かい。
 少しだけ、怖さが消えた。

「けっ」

 近くでコウハの声が聞こえたのは気のせいだ。

「術式」

 ヤシロが声を出す。
 それに伴って、ヤシロの服に書かれていた赤い字が、服から溶け出し、地面に
広がって輪のような模様を形成する。

「うわ、何コレ!」
「ヤシロが術に入った。まずは綻びを直して、街に出た陵鬼(リョウキ)を倒す」
「りょうき?」
「目の前にいる奴らのことだ。他人の場所を侵す鬼ってな」

 その間も、ヤシロの口からは、不思議な唄が紡がれる。
 そうだ、綻びは紡がなければいけないんだ。
 考えると、ヤシロの周りはなんて綺麗な光景だろう。
 唄に合わせて、地の模様は動き、形を変えていく。その地を這う模様から、時折
やわらかい光が上がり、消えていく。

「見てみろよ」

 コウハに言われて視線を岩に移すと、先ほど岩に開いていた穴がどんどん小さく
なっていく。それはきっと、ヤシロの唄が、結界を直していっているからだ。

「すごい……」
「まったくだ。『白カサギ』には、境師は奴一人だからな」
「え?」
「どのくらいこの結界が続いてるか知らねえけど、境師はずっとヤシロだけだ」
「ちょ、それって――」
「ま、信じられねえくらい爺さんってことさ」
「……そういう問題?」
「それ以外に何があんだよ」
「それは……」

 きっと、この世界の人々は、異なる者たちに対する偏見がないんだ。だから、
ヤシロもコウハも、私を変な目で見ない。あの岩の向こうの生き物も、危害を加える
から見過ごせないだけで、姿や形に関しては抵抗がないのかもしれない。

 私は、心が狭いんだろう。

「――修」

 ヤシロの声が響く。
 地面の文様がヤシロの服に帰っていく。

「終わったの?」
「ん」

 ヤシロが答えてくれる。
 顔には少し、疲労の色が見える。
 私には分からないけど、きっと、凄く大変なことなんだと思う。

「でも、まだ――」

 キキャアアアアアアアアアアアア!!!!!

「!?」

 耳を劈くような、甲高い『声』が辺りに満ちる。

「な、な、な――!!」
「お出ましだ」

 空に浮かんでいるのは、大きすぎる蛇。体からは、四本の指を持った青い腕が
四本でていて、その体の先にあるのは、長くて大きな女性の顔。

 それが、上空でのたうちながら、高度を下げてくる。

「陵鬼にとって、ここの空気は無いも同然だ。綻びから流れていた、奴らの界の空気
が途切れれば、苦しがってココに戻ってくる」
「そ、そ、そういうことは早く言ってよ!!」

 だから、ヤシロは残れって言ったんだ!
 呪われてるから無理だけどね!

「時間が無かったからな」

 無責任だな、おい!
 
 コウハは腰に下げていた袋から、一対の刺々しい鉄球を取り出した。その球と、
彼の両腕の腕輪は、細い鋼糸で繋がっている。
 ヤシロは刀を抜き、上空の蛇女に向かって身構える。
 私は……どうしよ!?

「シラネ、俺の後ろに。危ないけど、一人じゃ狙われる。多分、さわれないけど」

 あ、そうだ。私って今、不可触人間なんだった。
 あー、ビックリした。

「キョアアアアアアア!!!」

 まさにヤケって感じで、蛇が尾を振り下ろす。
 コウハとヤシロは、両側に飛んでそれを回避した。
 (私は、ヤシロにつられて勝手に動いた)
 
 コウハが鉄球を蛇に投げる。それは、反動を利用して、蛇の胴体に巻きつき、
鉄球が体に食い込み、糸が体を切りつける。
 そのまま彼は、力を込めて蛇を引き落とす。
 蛇は抵抗しても、糸はますます体に食い込んでいく。

 うう、スプラッタ。

「この程度なら楽勝ってな――ヤシロ!」
「……」

 そして、蛇の尾を避けつつ、ヤシロが、薄紫に輝く刃を、蛇の首に向かって振り
下ろした。

 ザンッ

 鈍い、何かを落とす音が聞こえて、蛇が暴れる音も消えた。
 私の位置からでは見えないけど、間違いなく、顔が転がっているんだろう。

 ……倒した、とも、気持ち悪い、とも思えず、ただ二人を見ていた。
 陵鬼からは、血が出なかった。

「今回は弱い奴で助かったな。綻びも小さかったし」

 コウハが、首の無い(だろう)蛇の背を、ぽんぽんと叩きながら言った。

「――でも、続きすぎてる」
「それはそうだけどよ、ともかく一件落着――シラネ!!」

「え」

 コウハの叫びと共に、私の頭上に影が落ちた。
 反射的に上を見れば、巨大な、それこそ三メートルはあろうかという顔が、いた。
 毛の無い頭、大きく引き裂かれた口、鼻は削げて穴が開き、耳は片方しかない。

 ――カタカタカタカタ
 
 ソレは、笑った。
 口が、ますます左右に裂かれた。
 
 私は、動けなかった。

「ちっ――だからビビるなっつただろうが」

 遠くから、そんな声が聞こえた。
 口が。尖った歯を持つ口が、笑うのを止め、私を包み――

「ぁ……」

 周りが闇に包まれた。




 ザシュッ




 すぐ近くで音がなり、光が漏れる。
 闇が二分した。

 立っていたのは、二十歳過ぎのヤシロだ。

「大丈夫?」

 やはり、ヤシロの刀にも、切り裂かれた『顔』にも、私にも、一切の血はかから
なかった。
 そして、顔が跡形も無く消える。
 コウハも、複雑な表情でやってきた。

「こ、腰、抜けちゃった……あ、あはは」

 私のチキンを降格してひよこになった心臓は、一連の出来事に対処不可能状態だ。
 そんな私を見て、ヤシロは少しだけ笑った。

「だから忠告したってのによ」
「だって、聞くのと見るのじゃ大違い。ってか、助けてよ!」
「仕方ないだろ、まだ武器が蛇の下なんだから」

 そう言われれば、コウハの腕には腕輪がない。

「ま、ヤシロが倒したし、いいだろ」
「あ、そうだ。ありがとう、ヤシロ」
「別に」

 ヤシロは、いつも通りだ。
 私の方に腕を伸ばして、そして止めた。
 
 ああ、起こしてくれようとしたのか。
 
 私の体は、人に触れないから……。
 それを誤魔化すかのように、ヤシロはまた、ぎこちなく口角を上げた。

「でも、私を食べようとした顔はどこにいっちゃったの?」

 とりあえず、腰が回復するまで、話で誤魔化そう。

「どこって――死ねば消えるに決まってるだろ」
「え」

 聞き間違い?
 そう思って、ヤシロを見たけど、彼は首を縦に振った。

「それって、皆?」
「当たり前。陵鬼だろうが、俺たちだろうが、死ねば消えて、鬼界を取り巻く
風になる。常識だろ?」
「そ、そうだね、あはは」

 そうなの!? おいおい、話しておけよヤシロ!
 そう思ってヤシロを睨んだら、ふいっと顔を背けた。こいつ!
 あれ、でも――

「ねえ、じゃあ、どうしてそこの蛇は――」

 言った瞬間、死んだはずの蛇の尾が、音も無く振り上がった。

「!?」

 二人は背を向けてる。

「危ない!!」

 とっさに動いて、二人を突き飛ばした。
 もちろん、私の体は、蛇によって吹き飛ばされる。

「シラネ!!」

 私の『名』を呼ぶ、二人の声が聞こえる。
 やばい、さすがに死ぬかも。
 
 腹部の、鈍い痛み、落ち行く体の感覚。
 ああ、激突っていう可能性も――

「お前は浮ける!!」


 あ。


 珍しい、ヤシロの叫び声で、気が付いた。
 そうでした。私、半透明でした。

 ききぃっ

 擬音がついたらそんな感じで、私は空中に静止した。
 ふよふよと、気まずそうに降りていく。

「あーびっく……!」

 痛い!!
 蛇にやられたお腹が、とてつもなく痛い。
 プールに飛び込んで、水面でビタンと体を打つより痛い。

「無事か?」

 痛いっての!!

 コウハが目の前に立つ。
 ヤシロが、うずくまった私の顔を覗き込む。
 背中をさすろうとして、透けた。
 いい加減、分かってもいい頃なのに。 
 とりあえず、顔を上げると、さっきの蛇はいなかった。今度こそ、本当に死んで
しまったらしい。

「まさか、首を落としても生きてるなんてな」
 
 こくり、とヤシロも頷く。

「あんくらいの穴を通ってくる奴で、そんなしぶといのはいないはずなんだけどな」
「俺も知らない」

 ヤシロが、淡く光る手のひらを、私の腹部に当てながら答える。あったかい。

「あ、あー……ちょっと楽になってきた。ありがと、ヤシロ」
「もう少し」
「でも、ヤシロ疲れるでしょ」
「平気」

 頑として聞き入れてはもらえず、ヤシロは治療(だと思う)を続けた。

「だけどびっくりした。私、陵鬼には触れられちゃうんだね」

 そうだよ。二人にさわれたのは、火事場の馬鹿力で納得するとしても。ほら、
結構、変なところでさわれたり、さわれなかったりするからさ。

「……多分、あのときのシラネは、実体化してたんだと思う」
「実体化?」
「今のシラネが何かに触れるときは、体が実体を伴う。だから、シラネは俺たちに
さわれるし、俺たちもシラネにさわれる。そういうこと」
「なるほど」

 そっかあ、まだ自分じゃコントロールできないから、突き飛ばした後すぐにまた
半透明、なんて器用な真似はできなかったってことか。
 それに、どういう原理か分からないけど、受けた痛みは実体化を解いても残るみたいだ。

「アカ、報告」
「分かってる。ヤシロがいりゃ、シラネも平気だろ」
「あ、もう帰るの? ヤシロもう痛くないよ」
「……そう」

 ヤシロは手を離し、息をついた。
 不思議だ、ヤシロって。

「じゃあ、ヤシロ、早く皆で帰ろう」
「あ、俺はここで」
「え?」
「俺んち、この近くだから。俺たち『鳥居守り』は、異変があったら中央の境師の
所へ協力の要請に行くもんなんだよ」
「『鳥居守り』は、結界が綻びやすい所を監視する人」

 珍しくヤシロが続ける。
 もしかして、話してなかった事が多かったことで少し反省してるのだろうか。

「そういうこと。じゃあな、ヤシロ、シラネ。
 シラネ、お前、次会うときはもっと常識身につけとけよ」
「ヤシロ次第だね」
「じゃあ無理だ」
「ちょっと、頑張ってよヤシロ」
「無理」

 むくれた私と、いつも通りのヤシロを見て、コウハが笑った。

「お前ら、いい夫婦だと思うぜ」

 コウハが、何だか嬉しそうに言った。

「ちょ、それは――」
「じゃあな!!」

 そう言って、あっさりとコウハは走り去ってしまった。

「……最後まで人の話、聞いてくれなかった」

 ヤシロとためをはるぐらい、自己中な奴だ。

「別に、いいけど」
「は」
「さあ、帰ろう」

 ヤシロは、まだ、二十歳のまま。



前へ      小説へ      次へ

Copyright (C) 2006-2008 Ao All rights reserved.